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カテゴリー「勉強会の復習」の記事

2017年4月 6日 (木)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

2部 仰げば尊し

今回から日本の心を思い起こすために、唱歌を歌う事にしました。第1回は「仰げば尊し」でした。

3部 ひふみ先生からのお話

東洋経済オンラインの豊島岡女子学園中学校・高等学校での毎日の「運針」の記事のご紹介がありました。

http://toyokeizai.net/articles/-/156008

毎日たった5分の運針ですが、無心で集中することが精神面を鍛えることにつながっているのでしょう。人の人生もそのように、無心に徳を積みあげていくものなのでしょう。一針一針は一見、変わらないように見えても一日一日の進歩の積み重ねは決して無駄ではありません。ただ、ひたすら針と糸で縫い、終わったら糸を抜いてしまうと何も残らないように見えます。しかし形に残らないものが魂の中に残るのです。それが魂を磨くことにつながり、進学実績につながっているのかもしれません。

2017年4月 3日 (月)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

昨日、テレビをみていると出雲大社の式年遷宮の話が出ていました。お宮の柱となる材木は樹齢200年以上のものが必要だという事です。それを見ていた外国の人たちが、日本人が何年も先の遷宮の事を考えて植林をしている、という事に驚いていました。また、宮大工の技術にしても一本も釘を使わないなどその技術は今に伝承されています。

西岡常一さんという「最後の宮大工」と呼ばれた方がおられましたが、法隆寺や薬師寺の補修や再建に携わった時に、この部分はどこのヒノキで作るべき、等口伝に基いた教えを忠実に守ってきたとお話されていました。また

食の料理人の土井善晴さんがおっしゃっていましたが、和食は素材の良さを活かして素材に感謝する、それが精神だという事です。一方、洋食は「私が作ったんだ」と主張しているように感じられます。

生きとし生けるものの命を活かす、それが日本の心ではないでしょうか。

この世の中には完全なものはありません。不完全なものが補いあって完全無欠なものができあがります。人についても、一人一人の間に優劣、上下はありません。神様の前では全員が平等であり、公平なのです。自分は優秀である、という思いのある人は、神様から見ればまだまだ昇華が足りないということなのです。

悟りは「差をとること」と言われます。勝ったと驕り高ぶるだけではなく、負けている、差がある、と感じることもまだまだ悟っていないという事です。神様はその「差」が全く無くなってゆく、神様の思いのもとにすべてが収束してゆく、という事を望んでおられます。役割、お役目という意味では、全ての人が尊い役割を持っているのです。他の事に目がくらんだり、煩悩に悩んでしまうこともままありますが、自分に与えられた使命をただひたすらに行っていくことが結局は自分の幸せにもつながります。魂が磨かれると、人間はささやかなことでも幸せになれるのです。

先日、311日に気仙沼を訪問した際に、慰霊祭に参列させていただきました。

遺族代表の方のお話で、息子さん一人を除き、ご家族が全て亡くなったそうです。津波が来た時に橋の欄干につかまって必死で耐え、やっと橋にあがって、一晩過ごしたそうです。寒さに耐え、眠らないように大声で家族の名前を呼び続けたという事でした。今になって自分の幸せは何気ない家族との会話にあった、それを失って初めて分かったというお話をされました。しかし、それに気づいて今が幸せですとおっしゃておられました。

大きな悲しみを乗り越えることで、神様のご意図を理解されたのではないでしょうか。6年間は長かったでしょうし、さぞ辛かったことでしょう。それを乗り越えて、次の一歩が踏み出せるようになられたのだと思います。

幸せというものは「今の状態が幸せである」という事に気づくことから始まるものです。私たちの生活も、これまで苦労されてきた人々の努力、苦労、支えの上に成り立っているという事に気づかなければなりません。桜が咲いているのを見れば心が明るくなりますし、晴れた日はそれだけで心がウキウキします。一方、雨は雨で作物が育ちます。すべてに意味があり、感謝すべきことなのです。

人間も同じです。ニコニコしている人を見ていやになる人はいません。いつも、何にでも感謝をして過ごしたいものです。一人一人が我執我欲に囚われてバラバラに生きていくことを神様は望んでおられません。人類が和して一つになることを望んでおられます。

 

宗教も同じように人類の昇華を考えているものでしたら、一つになるはずなのですが、実際はそうではありません。分裂や征服を繰り返しています。皆の魂の中に神様がいらっしゃる、魂は神様につながっている、それに気がつくことで神様との一体化を果たすことができます。それが人の和につながり、さらなる高次元の魂となる事ができます。魂は神様からお借りしているものです。それを磨いて、光り輝く魂にして、神様に返してほしい、それが神様の願いです。

 

順風満帆の生活で、毎日おいしいものを食べて満足していられるかというと、人生はそんなに楽なものではありません。陰には他人には分からない苦労があるのが普通です。しかし、それは神様とのご縁を結ぶためのお仕組みなのです。ただ、神様のお考えを理解するのはそう簡単な事ではありません。

先の気仙沼の方のご経験は、とても辛いものであったでしょう。それから目をそらさないで、逃げないで一つずつ答えを見つけてゆく、それが大切です。それが見つかった時に神様の世界に近づいて行くことができるのです。自ら考えて本当の答えを見つけてゆかなければなりません。

死ぬときに自分の人生はこのような意義があったのだ、いい人生であったのだという事が分かって死ねることが大切でしょう。小さい事ではありますが、周りに感謝し、にっこりと笑って言葉をかけることからはじめましょう。

2017年4月 1日 (土)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話

皆様

大変遅くなりましたが、3月19日の大阪 ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話のまとめが終わりましたので、掲載させていただきます。

はじめに 「市販本 新版 新しい歴史教科書」の紹介について

皆様、連休のお忙しいところ、お集まりいただきましてありがとうございます。今日は「ひふみのつどい」に先立ちまして、「新しい歴史教科書」について簡単にお話をさせていただこうと思います。

これまでは自虐史感に囚われた教科書が多かったようですが、実際は日本の歴史は世界に誇れる立派な歴史であり、次世代に正しい歴史を伝えていただきたい、と考えています。

戦争に関してもただ、日本は悪いことをした、というのではなく、その土地への貢献も行ってきた、そういうことについても伝えていきたいと考えています。この教科書は昨年文部科学省の検定にも通り、これから採択してゆく学校も増えると思います。

私もこの教科書を作る会を支援したいと思い、会員になりました。できる限り紹介をして広げてゆきたいと思っています。

(市販本 新版 新しい歴史教科書についてはこちらをご参照ください)

https://www.amazon.co.jp/%E5%B8%82%E8%B2%A9%E6%9C%AC-%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8-%E6%9D%89%E5%8E%9F-%E8%AA%A0%E5%9B%9B%E9%83%8E/dp/4915237834

1部 平成17118日「神の世界の一元化とは」について

人間の進歩は地球の進化とともにありました。しかし、人は神様からいただいたみ霊を、この世の中で生きてゆくことで汚してしまいます。その穢れを祓うことについて、神様は自分で何かをされるわけではありません。人間一人一人が少しずつでも浄化し、昇華していく事を望んでおられます。

今の人間を見ていると、経済的な発展という言葉のもとに、自然や社会を汚染しています。

人間だけが資源を乱伐、乱用して良いものではありません。

神様は人類の歴史を通して、何万年も自然とともに生きる、調和する、そういう世界を実現しようとしておられます。地球や自然を破壊しているのは人間ですので、このまま失敗すれば後はない、だから一人一人が目覚めなさい、とおっしゃっていることを認識すべきです。

地上から空を見ていますと、宇宙は遠いな、と考えてしまいがちですが、私たち自身が宇宙の一部なのです。身近な自然と宇宙は同じものなのです。自然を破壊するという事は、宇宙を破壊しているという事なのです。

今月は東日本大震災6年目でしたが、現在、被災地では「かさ上げ」というものが行われています。震災で水が来た高さまで土を盛って、防潮堤を作っています。陸前高田では小高い山が切り崩され、その土が「かさ上げ」に使われました。

人間は自然と和すことで、天災を乗り越えてきましたし、自然と共存してきました。

それがいつしか先人の教えを無視して、海の方へ活動範囲を広げてきた、その部分が今回の震災で津波の被害にあってしまったのです。

その後の復興状況を見ていても、新興住宅が次々とできています。これがまた同じような形の家が並んでいるのです。これらを見た人々がはたして同じ土地に「故郷」を感じるか、というとそれは微妙ではないかと思います。

このようにすべてが「同じ」であることは、「一体である」ということだと言えるのでしょうか。これが行政の方針で進めているのだとなると、心を失ったただの自然破壊に見えてしまうのです。(続きます)

2016年12月 9日 (金)

大阪11月の会のひふみ先生のお話(2)

皆様

前回に引き続きまして、大阪11月の会でのひふみともこ先生のお話の要約を掲載させていただきます。
テーマは「神様のお名前について」で、内容につきましては
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-ba5c.html
となります。

平成17年(2005年)10月16日 神様のお名前について

 

神様のお名前というものは、私はあまり気にしていないのですが、ある人からは自分の名前を言わないなんて失礼だ、と言われたことがあり、びっくりしました。
神様にはお名前はありません。また、神様のおられる世界には時間も空間もないそうです。臨死体験をされた方のお話を伺うと、気になる人の事に意識を飛ばすと、すぐにその場に行くことができるそうです。神様も同じで、すべての場所におられます。神様は物質ではありませんので、肉体を持つ私たちには想像できないのですが、どこにでも現れておられます。お隣の御堂筋に生えている銀杏の木にも、そこにいる虫にも神様は満ちています。しかし、それぞれの個体の中にバラバラにいらっしゃるのではなく、全てのものにつながっているのでお名前はないのです。イチョウの葉の一枚、虫の一匹にも神様のすべてが含まれています。
人が神様の名前だと言っているのは、その役割に名前を付けているだけで、それは神様の名前ではないということなのでしょうか。

 

しかし人間は名前で物を区別する生き物ですので、ついつい名前を付けて区別したり、差をつけてしまいます。それは方便ですので仕方がないのかもしれませんが、神様に名前を付けてその差をつけようとするのは、それは間違いです。虫一匹の命と人間ひとりの命が同じであるかどうかは難しいところですが、日本人の感性として「やれ打つな 蝿が手をする 足をする」という句にもあるようにその中にも一つの命としての「あはれ」を見ることは大事にしなければなりません。何のためらいもなく、害虫といえば殺虫剤で皆殺しするというような外国とは一線を画しています。

 

名前を付けることは方便なのですが、それで神様に、例えばどちらの宗教がえらいなどと言って、差をつけようとするのは人間の欲なのです。神様には空間がないので、どこででも拝めるのですが、人間には神棚とか仏壇とかがあった方が拝みやすいという事もひとつの方便としてあり得ることだと考えています。
人間の損得勘定で神様のお名前を勝手につけ、人の勝手に利用することこそ、神様のご意図に沿わない事なのです。

2016年12月 7日 (水)

大阪11月の会のひふみ先生のお話(1)

皆様

大変遅くなりましたが、11月26日の大阪 ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話をまとめましたので、2回に分けて掲載させていただきます。

前半は「真・善・美・愛」のテーマで、内容は
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-58ef.html
となります。

平成17年(2005年)10月15日 真・善・美・愛について

「真・全・美・愛」というのは勉強会に来ている人からのご質問でした。
この四つは全て神の世界をあらわす言葉です。
真:まこと、正しいこと。
善:人の損得で考えるのではなく神の思いで考えること。
美:真であり善であることで本質が美しくなる。
愛:真・善・美がそろって「愛」を受け、与えられるようになる。
「真・善・美・愛」というものは限りなく循環してゆくものなのです。

人間の本質は「徳」だと言えます。しかし、色々な欲のせいでその徳性が歪められてしまいます。人間は互いに、人と人だけではなく、自然とも互いに助け合うものです。
「真・全・美・愛」の四つは神様の世界というか、お考えを表す言葉なのですが、今の世では、自分一人が良かれという考え方で行動することで、人の本来持つ「徳」を失っていく人が多いことを神様は嘆いておられます。
振り込め詐欺というような、人を疑う事を知らない人をだますという許せない犯罪も後を絶ちませんし、自然災害も続いています。人の心が荒むのも、災害が続くのも、人間の欲が自然を汚し、調和を乱しているのだ、という警告を行っていただいているのだと考えます。

事件、事故、災害の様子を見ていると、見ている方の気持ちが暗くなり、波動も下がってきます。それらの現象についてかわいそうだ、悲しい、と思うだけではなく、それらに込められた神様の思いを考え、やみくもに暗くならないように注意しなければなりません。
私たちは、皆、神様のお手伝いをしているのです。悪いことをする人を見ると、それに怒りを感じるのは自然の感情です。しかし、それに必要以上にとらわれることなく、すべての人の中にある「仏性」を見出さなければなりません。
以前、ダライ・ラマと村上和雄先生との対談の中で、村上先生の「ウサマ・ビン・ラディンにも仏性はあるのか?」という問い対し、ダライ・ラマは「ある」と明言されていました。怒りだけにとらわれるのではなく、神様の心にあるものを見出す努力をしなければなりません。「怒りは正義」だと思うかもしれませんが、それに囚われて報復という事を繰り返すことは神様の願いではありません。
不快なニュースを見て、あまりに憎み続けることは、神様の目から見るとそれこそが人間のおごりだと言えます。人間界での正義、善悪は神様の基準とは異なる場合が多いのです。どっちが悪いとか、良いとかという話ではないのです。両方の立場に学ぶことがあるのです。
病気になった人がいれば、看護する人が気づくことがあり、知人が亡くなったりした場合は、残された人が考える必要があるのです。
全てのでき事には意味がありますし、神様の世界からみると幸せと苦しみの帳尻はあっているのです。人を苦しめると自分に必ず帰ってきます。まずは自分のしたことをじっくり反省しなければなりません。人間心で理性的だと思って考えていても、知らず知らずのうちに心を汚すこともある、という事を気づいていただきたいと思います。

テレビのワイドショーで犯罪の報道で、あまりに詳細に内容を見たり聞いたりして、いやな思いで過ごすことになってしまう事も心の穢れを増すことになります。あまりいやなニュースは念入りに見ない方がいいのかもしれません。
そうかと言って、自分には関係ないと思って全く無視してしまうのもよくありません。
例えば、遠いところで地震で被害があった、というような場合にも、間接的にどこかで自分も苦しんでいることを理解していただきたいのです。人は何とでもつながっているのですから。
私は今日、新幹線で大阪に来ましたが、その工事には大変たくさんの方々の努力がありました。それだけではなく、無数の数えきれない人のおかげで、今日ここでお話しさせていただける自分があります。直接、間接に人だけではない誰かのお世話に、必ずなっているのです。
どこまでつながるんだ、と考えるときりがないのですが、全てが誰かのおかげで今、こうしていられるのだという幸せを感じ取らなければなりません。
そういう見方を養ってゆくと自分の心も変わり、身体も変わってゆきます。身体か、心か、はどちらが先というものではないのですが、互いに関係しているのは間違いありません。
そう感じる習慣をつけていくことで心が神様に向かって開かれていくのです。

お金や物に囚われている人は、顔を見るとわかるようになってしまいます。悪人も必要悪という事なのでしょうか、しかし、どこかで苦しんでいるはずです。
神様に心を閉ざすという事は、執着が多いという事です。いろいろなものからいただいている恩恵に気づくことで「徳」が目を覚まします。徳というのは仏性と言い換えてもいいかもしれません。

自分の使命というのも何度もお話ししていますが、それに対して難しく考えることはありません。家族のなかでは、朝起きたら「おはよう」と挨拶する、靴をそろえる、脱いだ服を片付けておく、このようなところから始めればいいのです。外国の方が日本の旅館に泊まり、脱いだスリッパがきれいに揃えられていることにびっくりするというお話を聞きますが、それを自然にできるのが日本人の徳性です。先月もゴミを拾うお話をさせていただきましたが、そのように小さいことから始めて、積み重ねてゆくと最終的な「使命」につながっていくのです。できることから進めていきましょう。

2016年9月10日 (土)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話

皆様

本日は、9月3日の大阪 ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の続きを掲載させていただきます。

平成17(2005) 922日 新しい御世とはどのような御世なのか。

神の世の立て替えはいつ行われるのですか、どのような世界なのですか、ということをよく聞かれます。21世紀になる前は、今のようにテロが頻発する世の中になるとは誰が想像したでしょうか?もっと平和な世界になると思っていたのではないでしょうか。

私自身、この文章を書いた日には、今のような世の中になるとは全く思っていませんでした。「人類史上最大の危難危急の時代」だと言われても、実感がなかったのですが、それがこの10年で状況は急激に悪化していることに驚かざるをえません。

神様が人間に望んでおられる世界というものは、人の礎となるような人が世の中にあふれている状態です。

神様に近づこうとして、結局、実生活で多くの障害ばかりに気づき、例えば「物欲はなくせないので無理です」となってしまう場合もあるでしょう。しかし、完全を目指して「無理だ」と頭で考えるのではなく、「物欲をなくすようになりたい」と考える、努力することが神様の望まれる「素直さ」なのです。神様が「必ず訪れる」とおっしゃっていますので、必ずそのような世の中がやってきます。テロもなくなります。文明世界での利器に頼らなくても生きてゆけるようになります。

ただ、それに向かって努力しなければ、現在の人のほとんどはその世界に移れないともおしゃっています。まずは純粋無垢な魂に立ち戻ることを目指さなければなりません。

生きとし生きるものすべての平和を願う、そして自分はそうなれるのだ、と信じる事がその第一歩です。神様は全ての人が魂の昇華をしたいと思えばそうなれると信じておられます。それを人間が信じるかどうかで、その人の魂の次元が上がります。その人が少しずつでも我欲我執を減らすことを決してあきらめないことが大切なのです。

一時に我欲我執をすべて無くすことはできませんが、一生かかれば可能です。

何にでも「はい、はい」という事が素直であるという事ではありません。神様を信じて、自分を信じて、最後には我利我欲我執を捨てられる、素直にそう思えるかどうかが大切です。いきなり黒が白に変わるのではありません。少しずつ、時間をかけた積み重ねが必要なのです。

東日本大震災の時に海が荒れ、名産だったカキの養殖事業が壊滅状態になりました。一時的には泥とプランクトンの大量発生で海は濁り、誰もが再びカキが取れるとは思えなかったようです。しかし、海がおさまるとかえって海の栄養源が多くっており、単なる回復ではなく、震災以前より海は豊かになっていたのです。カキの養殖を再開すると、それまで育つのに2~3年かかっていた大きさに1年で育ったという事です。津波が海を豊かにしたのです。このように自然には自浄作用があります。同じように人間の魂にも自浄作用があります。

生きとし生きるすべてのもの、自然を大事にすることは自然との助け合いであるといえます。鈴木孝夫先生の著書の中にあった内容ですが、現在では食物連鎖がどんどん崩れているということです。世界に個体数が100万を超える「野生の」大型動物は一種もいないそうです。逆に、人間が管理して増やしている動物(牛や鶏などの家畜)は44億頭まで増えているということです。

どうすれば神様の真意に沿った生き方ができるのか。これはその人ごとに異なります。

ただ、神様の真意を少しでも実践するとか、これまでの生き方を変えるというとこれらはとても難しく考えてしまうのですが、やさしい言葉をかける、できるだけ無駄をなくす、電気を消す、など小さなことを積み重ねてゆくことは誰にでもできるのではないでしょうか。命あるものは最後まで使い切る、最後まで活用するというのが日本人の昔からの考え方です。また、以前の会でもお話ししましたが「早寝早起き」「整理整頓」でもいいのです。

その積み重ねが家庭を幸せにする、それが地域にひろがり、町に広がり、国に広がります。

こうした積み重ねを進めてゆくと、次に自分が何をすべきか、行うべきことが分かってきます。それが神様の望まれている生活というものです。

神の願いをどのように日々の生活に活かせばいいのか、ということについては大きなことを考えなくてもいいのです。ただただ「素直」に歩んでいきましょう。

2016年9月 7日 (水)

大阪9月の会のひふみ先生のお話

皆様

遅くなりましたが、9月3日の大阪 ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約を掲載させていただきます。
長文になりますので、2回に分けてのご紹介となります。

平成2693日 大阪の会の要約

前回から2ヶ月経ちましたが、皆さまはどのようにお過ごしでしたでしょうか?また、この2ヶ月間にいろいろな事がありましたが、一番心に残った出来事は何だったでしょうか?

オリンピックもありました。個人的に心に残っているものは体操の内村選手の2連覇でした。逆転劇も多く、柔道や卓球ももう駄目だというところから、勝利を掴みました。力量だけではなく、日本人が精神面を鍛えた結果ではないかと思います。メジャー通算3000安打を達成したイチロー選手も無欲というか、プレッシャーに打ち勝って、やるべきことを淡々と行っているように見えます。これが日本人の精神性の強さかもしれません。

鈴木孝夫さんという言語社会学者で慶応大学の名誉教授がお書きになった『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』(新潮新書)というご本はぜひお読みいただきたいと思います。鈴木先生には『日本人はなぜ日本を愛せないのか』とか『日本語教のすすめ』など数多くの著書があるのですが、この中で日本語というのがいかに平和的な言語か、という事を語っておられます。英語では必ず主語を言う、それにより相手と自分との区別を明確に行います。しかし日本語では相手も自分も同じ立場で話す、考えるという事が自然と行われています。

日本語は英語や中国語にくらべて、人をけなす、馬鹿にするという意味の表現が少ないそうです。また、物事をはっきりとは断らないということも特徴の一つです。その言葉を使う中で、自然と相手を思いやることになるという事です。

「タタミゼ効果」という言葉がフランス語にある、という事も書かれています。この「タタミ」は日本の「畳」のことで、「日本かぶれする、日本びいきになる」という意味だそうです。外国人が日本に来て日本語を学んでいるうちに、相手を思いやるとか、やさしくなるという効果が説明されています。

物でも道具でも大事にする、針供養、人形供養や鯨塚など不要になったものの供養をきちんとする。虫の鳴き方についても童謡「虫の声」の歌にある通り様々に聞き分けていますし、セミの鳴き方についてもミーンミーン、カナカナなど、それぞれ個性を見出しています。英語では「セミの鳴き声」といっても特定の音を連想されることはなく、単なる雑音としかとらえていないそうです。また、中国では「虫」は一緒くたに「虫」、「花」はすべて「花」という雑な感性になってしまっているようです。

日本はものをいつくしむ心とともに、科学技術でも最先端を走っています。ここが他国との大きな違いです。

農業でも海外では害虫を駆除するにはヘリコプターで農薬を大量に撒きます。一時的には害虫もいなくなるのですが、その後はその虫を食べていた鳥もいなくなる、土壌も汚染されてしまい、結局元には戻らないのです。

このような点から世界を救えるのは日本だと神様はおっしゃっています。

これらの内容は「神から人へ」に書いてあることに共通するものです。神様からのお言葉は神様の世界だけのものではなく、人の生活の中のいたるところに存在しているのです。

自然を人間の都合で変えてしまっているから、土砂崩れや、河川の氾濫を招いています。

私達が真剣に考えること、私達の心が変わっていくことが立て替え、立て直しにつながります。日本人が始めなければ世界は変わりません。

日本語が世界を平和にするのであれば、その日本語を教える良い先生を育ててゆく必要があります。そのために言語学的な知識だけではなく、日本人が私たちの国、日本に誇りを持つことが必要です。鈴木先生は如何に自虐史観にとらわれているか、という事を憂いておられます。

日本人は大東亜戦争においても、単に植民地化して搾取するのではなく、学校を作って教育をしたり、橋や道路などを建設してインフラを整備したり、さらには現地の人たちと共に独立のために戦ったりしています。そういうことをもっともっと私たちは知らなければならないし、伝えていかなければなりません。戦争で亡くなった方たちを「悪いことをした」「残虐なことをした」として非難したり恥じたりすることは、祖に方たちの名誉を傷つける大変失礼なことです。一人の日本人として行わなければならないことは、少しでもこれまでの自虐史観からの束縛を離れ、次世代に日本の良さを正しく伝えていくことなのです。「言葉を正しく使え」ということが何度も言われていますが、それは「正しい歴史を伝えること」でもあるのでしょう。


2016年7月21日 (木)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

今日の話題に戻しますが、テロへの憎しみを感じるだけが私たちの役割ではありません。
人類全体が目覚めるために、平和が大事なのだと気づくまでの過程なのかと考えます。
テロの怖さ、悲惨さは平和の中にいる、平和の意義を知っている日本人が最も感じられるものではないでしょうか?そして、この平和はいろいろな方たちの犠牲の上に成り立っているものなのです。憎しみの連鎖を断ち切り、力ではなく、理性で実現してきたのが現在の平和なのです。

昨年の11月のパリの同時多発テロでアントワーヌ・レリスさんという方はバタクラン劇場で妻のエレーヌさんをテロリストに射殺されました。そのレリスさんのテロリストに向けてつづったフェイスブック上の文章が世界中に波紋を投げかけています。その後、「ぼくは君たちを憎まないことにした」という本を著しておられます。
本の概要はこちら↓
https://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80080690
記事はこちら↓
http://www.asahi.com/articles/DA3S12076838.html
メッセージの和訳はこちら↓
http://www.asahi.com/articles/ASHCM73BSHCMUHBI033.html

憎しみでは返さない、この考えは以前にお話しした松本サリン事件で奥様が被害にあわれたにもかかわらず犯人だと疑われた河野義行さんの言動にも一致します。
人間は恐怖、悲しみ、恨み、妬みなど、色々な感情がわいてきますが、それを変えて行くことができます。忘れることはできませんが、悲しみや憎しみに使われるのではなく、自分でその悲しみや憎しみをコントロールしてゆくことができます。
人間は祈る生き物だと言われています。太古の昔から壁画などにも太陽に向かって祈っているものなどがあります。それは人間の本性がそうであり、祈る衝動を持っているからではないでしょうか。その祈りも自分自身のために祈るだけではなく、人のためであるとか、平和のためであるとか、もっと大きな祈りに昇華できると信じています。

梯谷幸司さんの記事の最後にデヴィット・R・ホーキンズ博士の「意識のレベル」のお話があります。それによりますと意識には悦び、愛、勇気、怒り、恐怖など、17段階のレベルがあり、意識のレベルによって発するエネルギー値が変わるといいます。

「人を愛すること」「人を許すこと」。この2つを学んでゆき、身に着けることが必要です。「許す」ということは、その障害を乗り越えることで自分自身が救われるということです。これを行うには理性が大切です。外から自分を冷静に見る、それを行う事で本当に自分自身が何をなすべきか、が分かるようになります。先日、アントワーヌ・レリスさんが来日された際のインタビューの中で、「私は聖人ではありません。自分の弱さに負ける事もあります。ただ、理性で乗り越えようと努力しています」と言われています。
私たちも悲しみや怒りを、理性的に制御し、それを昇華して大きな祈りとし、平和な世の中のために行動してゆかねばなりません。

2016年7月16日 (土)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話

皆様

遅くなりましたが7月3日(日)に開催されました「大阪ひふみのつどい」のひふみともこ先生のお話の要約をお送りいたします。
また、パリでもテロが発生し、トルコではクーデターで、いずれも多数の方がお亡くなりになりました。
当日の勉強会の教材は、13年前に神様からいただきましたお言葉ですが、私個人的には何も進歩していない自分に愕然としてしまいました。

平成15年(2003年)12月2日   イラクで日本人が殺されたときのお伝え

当時、この事件は私にとってかなり衝撃的でした。
キルギスの事件(1999年キルギスにて日本人鉱山技師4人、通訳らが誘拐された事件。)では中山恭子さんのご活躍で人質は無事解放されていました。
そんな中で、日本人が、また外交官という特別な位置づけにある方がテロの犠牲となって亡くなられました。日本人は水と安全はただ、と思っていたのですが、それが根底から覆される出来事でした。
今、人類全体が平和について考えることを求められています。今回のバグラデシュの事件でもJICAの国際協力を志す方々が犠牲になりました。
テロが何故起きたのか、とかテロを恐れるとか、避けたいと思うのは人間としては無理もない考え方ではあるのですが、私たちが人間として何を考えなければならいか、何を学ばなければならないのかを、神様にお伺いしたのがこの内容です。

今、人類全体が平和について考えることを求められています。今回のバグラデシュの事件でもJICAの国際協力を志す方々が犠牲になりました。
本文中に「祈り」という言葉が8回出て来ています。これが本日のお話の中心となります。

日本は本当に大事な役割を果たすべき国なのです。戦争で焼け野原にされ、原爆を落とされ、それにもかかわらず、戦争をしないという事を表明した唯一の国です。
どちら一方の立場に立ち、力で勝ち負けをつけるのではなく、言葉の力で平和に貢献してゆく、それが日本の役割ではないかと思います。
私達が何をなすべきかについては色々なことが考えられますが、まずは平和を祈ることから始めることが必要です。「平和」というとあまりにも大きな、手に余るものだと考えがちですが、まずは家庭、職場などの身近なところから「祈りで満たす」ことが大切です。
「祈って何になるのか」「1回や2回祈ったところでどうなるのか」と思われる方もおられるかも知れませんが、祈りを広めるためには小さな祈りの積み重ねが大切なのです。無益な祈りというものは絶対にありません。祈りは言霊です。少しずつの積み重ねが大切です。

先日、インターネットでメンタルトレーナーの梯谷幸司(はしがい こうじ)さんの「自分の人生を生きていないとき人は病気になる」という記事を目にする機会がありました。
http://president.jp/articles/-/18207
それによりますと、悩みを抱えて病気になりやすい人には次のような傾向があるとの事です。
「誰かに何か言っていないことがある」
誰にも言えないという事は、そう簡単に人に言えない事だとは思うのですが、悪い思いをため込むと体に影響がでてきます。
「許せない人がいる」
あの時あんなことをされた、こんなことを言われたと例えば10年前の事を未だに昨日の事のように話をする人もいます。
「受け身的な解釈をする」「原因を外に求める」
あの人のせいで私はこんなになってしまった、と自身の責任を回避するような人の事ではないでしょうか。

我慢は大事ですが、ずっと持ち続けるとそれが心を蝕み、体を蝕んできます。
自分の人生を生きることを考える、これは特別な事ではありません。同じ仕事をするのでもいやいやながら、とかお金を稼ぐために働くのではなく、その仕事に自分の役目を見出すことが必要です。例えば食器を洗うという一見つまらない作業でも、みんなと食事ができてうれしい、というように考えてもらいたいのです。これは、以前の勉強会で「幸せに思う事を10個書いてください」とお願いしたときに「食器を洗うこと」と書いてくださった方がいて、はっとさせられました。
「意味のある生き方」をすることが自分の人生を生きているということなのです。
病気を治す、というときもただしんどいから、辛いから治りたいではなく、治ったら何かしたい、そのためにこの病気を治したいと考えることが大事です。

(続きます)

2016年6月 5日 (日)

大阪5月の会のひふみともこ先生のお話

現実世界では、いろいろな規模で諍いが発生しています。どちらが正しいのか、について神様のお言葉はどちらかの肩を持つ事はありません。人間の意思の言葉との違いはそこにあります。

その神様のお言葉を正しく聞くことで、自分をがんじがらめにしている「我」(執着、思い込みなど)から解き放たれます。自分が救われるのではなく、神様のお手伝いをするのだというつもりで行動することが自分を救うことになります。

「救われたい」という人は物質的な救い(お金がない、病気を治したい、商売繁盛など)を望むのですが、「魂の救い」を受けられるかどうかが本当の「救い」です。

例えば太陽や空気のように、願っても与えられない恵みをいただいているにもかかわらず、自分が愛され、守られているという事を気づかずに生活し、不足ばかりを探しているというのがほとんどの場合ではないのでしょうか。

たとえお金が足りなくても、周りを見渡せば自然の恵みを代表として多くの「恩愛」をいただいていることに気付くことができれば、この世の恵みは大きな循環の中にあり、全体として大きく調和していることが理解できるはずです。

この世の中に生きている人は、必ず意味を持っています。

地球だけがこの宇宙にあるではなく、太陽系の中にあり、それより大きな単位としては銀河系があります。どの命も一つだけで完成はしませんし、人間の体も70兆とか言われている細胞からなりたっています。

体の中には無駄なものはありません。盲腸も昔はすぐに切ったものですが、今はそうではないようです。

アンジェリーナ・ジョリーという女優さんが乳癌と卵巣癌の発生が高くなるとされる遺伝子「BRCA1」に変異があるとして、乳癌予防のために両乳腺を切除する手術を受け、また、卵巣と卵管の早期切除を行ったことが数年前にニュースになったことがありました。しかし、このところ大変痩せてしまっていることが、報道されていました。予防のためとはいえ、身体の部分を切除することが本当に自分のためにいいことなのかどうか、考えさせられます。

都会にいると全てが人工物ですので、自然と我欲が強くなるような気がします。しかし、そのような都会の人間でも、海や山に行くと自然との調和を感じるものです。なるべく自然のもとへもどること、自然にいることが必要だなと感じます。

 

神様とのご縁はみんなが持っています。しかし我欲にとらわれていますと、ご縁が薄くなってしまいます。「自分の中に神様の居場所を設けよ」と「神から人へ」の中にも書かれていますが、それができない場合は、なかなか自分から神様とのご縁を求めても難しくなってしまいます。いくらご縁を結ぼうとしても、機が熟さなければ、その人の心の準備ができていなければ、この絆は結ばれないものです。早すぎることもなく、遅すぎることもなく、機が熟せば自然とご縁は結ばれます。しかし我欲が強すぎれば、そのご縁に気がつかない場合があります。

ありがたいことですが、「ひふみのつどい」に人を呼びたい、「神から人へ」を人に薦めたい、とおっしゃってくださる方がたくさんいらっしゃいます。しかし、結果的には自分と同じようには感じてくれない、というお声も聞きます。これはやはり、機が熟していないからなのです。ただ、人が悩んでいるときにこの本を、と差し出すことは必要かと思います。

皆様も決して焦らずに、神様とのご縁の絆を強めるように日々をお送りください。