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カテゴリー「勉強会の復習」の記事

2017年12月 2日 (土)

大阪11月の会の復習(続き)

大阪11月の会の復習(続き)

<平成29年11月19日 大阪ひふみのつどいの要約の続きはここから>

【第1部】 平等について(続き)

楽して人生を生きられるとうれしい、と思うかもしれませんが、そのままでは魂の成長ができないような仕組みになっているのかもしれません。自分を甘やしてしまうと、人に分けるのはもったいないなどと魂の成長を阻害してしまう事になります。恵まれていると感じる方は、それをどのように活かして、人のため、社会のために使っていくのかを考えなければなりません。

人は与えられていると文句は言いませんが、無いものを見つけて文句を言うものです。しかし、与えられているものがどれほど多いのか、それに気づいていない人が多いのも事実です。まずは与えられているものに感謝することが大切です。

目に見える違いというのは単なる不満であり、それを等しくするというのは「妄想」です。それに気づきなさいと神様はおっしゃっています。「お金がある」という事も「お金が無い」ということも同じく、魂の成長のために与えられた課題なのです。魂の成長進化のためには、生きている間に行わなければならない課題をみんなが持って生まれてきているのです。
その魂の成長進化には人により差があります。その差ばかりを不満に思って平等平等というのは間違っています。

「平等」というのであればみんなが平等なのです。しかし、人それぞれに「違い」があります。その違いというのは、人それぞれに仕事があるようなものです。みんなが同じ仕事をしていたら逆に困った事になってしまいます。みんなの役割が違うので、この世の中が成り立っているというのと同じ事です。役割が違うという事は差別ではありませんし、必要な違いなのです。

自分の置かれた立場を理解し、神様が与えて下さった課題を理解して、それを乗り越えていく事が私たちの使命です。それぞれの使命を果たすことが、魂の昇華をもたらし、地球の進化に役立っていくのです。

最後になりますが、平等という言葉は権利などと同じように日本に昔からあった「大和言葉」ではないということらしいです。輸入されてきた概念で、一部の、これらの言葉を利用したい人のために作られた言葉ですので、あまりこの言葉に囚われない方がいいかもしれません。個性があるのが自然であり、それが本当の神様の視点なのだという事を理解して行動していかねばなりません。


【第2部】11月の歌斉唱

11月の歌は「紅葉」を皆様で合唱いたしました。
この歌詞が作られた場所である碓氷峠には日本武尊の創建とされる熊野神社があり、八咫烏を祀る社祠もあります。日本書紀に、日本武尊は東征の帰路、八咫烏(やたがらす)に導かれて碓氷峠に登り、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶(あづまはや・あゝわが妻よ!)」と三度嘆かれたと伝わっています。

2017年11月28日 (火)

大阪11月の会の復習

皆様

大変掲載が遅くなりましたが、11月19日(日)に今年最後の大阪ひふみのつどいを無事に終了させていただきました。ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。
来年はお正月早々になりますが
1月6日(土)
が初回の開催となります。

当日の「ひふみのつどい」でのひふみともこ先生のお話の要約を以下に掲載させていただきます。
教材は「平等」という内容で、詳細に関しましては↓をご覧ください。
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/2005-f888.html

<平成29年11月19日 大阪ひふみのつどいの要約はここから>

【第1部】 平等について

神様の祈りは人間だけではなく、全ての物が進歩し、昇華することです。神様の前ではすべてが平等です。決して信じる者だけが救われるというものではありません。

そもそも何をもって「平等」というのでしょうか。なんでも「平等」「平等」と言いますが、例えば運動会でも全員が一緒にゴールすることがすばらしい、というような考え方が出て来ています。
人間だけではなく、世の中に存在するものは全て神様の恵みをうけています。
私たちが自分の物だと思っているものは、本当に自分の物なのでしょうか。自分の物というものは死んだときに持っていけるものなのです。毎日いただいている食べ物でも、生きとし生ける生命をいただいているように、私たちは神の恵みをいただきながら日々生きているのです。自分の物だと思っているもの、それは決して自分ひとりの物ではありません。

人間は本来何も持っていない存在です。例えば今、着ている衣服にしてもこれらの材料は綿花であったり、絹であったりするのですが、それらは自分で生み出したものではありません。植物や蚕が生み出したものを自然の恵みとして使わせていただいているのです。
生きているものが死んだら微生物に分解され、土にかえる、それが植物になり、またそれが動物に食べられるというその自然の循環があり、それが他の物を支え、育ててゆく存在となるのです。
無力無能なものがお互いに支えあい、分かち合いながら宇宙の進化に貢献しているのです。
しかし、そのまま無力無能でありつづけるのであれば、それは哀れだと神様はおっしゃっています。この「哀れ」という表現は決して神様が侮蔑しておっしゃっているのではなく、神様から見れば皆、平等で無力なかわいい存在なのです。
人には全て等しく神様から与えられているものがあります。それを人間世界の尺度で無理に比べて、自分たちの都合のいいように差別を見出しているのが現実の世界ではないでしょうか。財産、能力、性格、容姿など、つまらないものに囚われてその違いを見つけて「平等じゃない」「不公平だ」と言っているに過ぎないのです。
それが同じになってしまうと違いがなくなってしまいます。違いを無くすことが平等ではありません。
現実問題として、美人であるとか、金持ちであるとかで、この世の中で暮らすには不都合がおこる事もあるでしょう。しかし、それはその人の魂の成長のために与えられているものであり、神様から与えられたものなのです。平等をもとめるのではなく、魂の成長のためにそれを受け入れることが必要です。
神様は魂の成長の機会を皆に「平等」に与えてくださっているのです。

2017年9月17日 (日)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

今回の台風18号の暴風雨で被害に会われました方々に心よりお見舞いを申し上げます。
まだまだこれからも被害は拡がりそうです。台風の通過地域に当たられる皆様には、くれぐれもご無理をなさいませんように。

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の最後を掲載いたします。

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【第2部】9月の歌斉唱

9月の歌は「赤とんぼ」を皆様で合唱いたしました。

【第3部】ひふみともこ先生から書籍のご紹介

田中英道様著 日本史の中の世界一 育鵬社

この本の中には日本の歴史の中で、私たちが良く知っている遺跡や建築物に込められた、日本人の考え方のすばらしさが語られています。
・伊勢神宮のご遷宮
・仁徳天皇陵
・奈良の大仏殿
など、多くの人々の力が一つになって行われた大きな仕事ですが、これらは決して、無理矢理に集められた人々が酷使されて行われたものではありません。
一度お読みいただけましたら幸いです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4594058566/

2017年9月14日 (木)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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では、どのようにして光に近づけばいいのでしょうか。
どこかにある光をさがす必要はありません。
このところ、「自分さがし」などと言って、自分は本当の自分ではないと考えたり、ここにいる限り自分は力を発揮できないとか、あの人さえいなければもっと良い人生が送れるのに、などと思いがちですが、実は光は今、その場所に存在します。
それを見出すことが「行」なのです。
自分を高めていかなければいい出会いはありません。自分が高まらなければ、出会いも仕組まれないのです。
この世に生まれ来て、見えない力に導かれ、そこで出会ってきた人々とのご縁、そういった一連のものに感謝をささげて、これらの奇跡が重なって、今、生きていられるという奇跡に感謝を感じながら生きることが大切です。

そうやっていい生き方を求め、いい生き方を実践する人は、やがてどのような場所からでも何かを得ていきます。何もしないことが命の流れに身を任せることではありません。そこには努力、忍耐が必要です。与えられた中での努力、忍耐。それで失敗しようが、成功しようが、それは神様にお任せする、そこから学ぶこと、それが悟りです。人間界の結果が答えではなく、「悟ったこと」それが答えなのです。

遠くに見える目標に早く近づこうとして、近道を探すことは、結局は魂の成長には逆効果です。要領のいい人も良くいますが、それは決して本当の得ではないのです。本人は得をしたと思っているかもしれませんが、霊格的には大きな損をしています。根気強い人、忍耐強く努力を続ける人には、周りの人から、何かをしてあげたい、助けてあげたいという思いを呼び起こすものなのです。それが長い目で見ればその人の「得=徳」となります。

霊格は現世の「はかり」ではかることはできません。
しかし、霊格の高い人というのは波動といってもいい目に見えない明るさ、そばにいて心地よさを感じさせるものを持っています。「気」とか「オーラ」などと呼ばれるものなのかもしれません。そしてその人の周りにはいつも人が集まるようになります。そのような人々が集まることでいいエネルギーを生み出していくことになるのです。
自分が暗い波動を出していれば、似たような人々が集まってきます。

自然の中にいると、大きな安らぎを感じるものです。自分の周りのすべての物を受け入れようと感じます。その自然の中で、すべての物にできることをしてあげる、自分のできるすべてを与える。そういう行いをすることを神様は望まれています。
陶冶というのは鍛えるという事です。人格はこの世で終わりですが、霊格は過去から続き、これからも続くものです。ただ、人格のことをさておいて、霊格の修行だと言って人里離れた場所で修行をするだけでもいけません。
その人の人生で降りかかってくる苦労を受け入れ、感謝に変えることで「人格」も「霊格」も磨くことができるのです。生きているうちは全てが修行です。御霊を磨く機会を見逃さないで、苦労から逃げ出さないで、毎日を大切に暮らしてください。

2017年9月 9日 (土)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(2)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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自然と向き合う人々は、常に自然の強さ、怖さ、ありがたさを知っており、自然との長期的な共生をはかってきました。
今年も色々なところで天災が起きています。それは全て自然の摂理であり、神様のご意図なのです。人間が如何にいやだと思っても、それを止めることはできません。そのうちには火山に蓋をして、噴火させないようにする、というような科学的な方法ができるかもしれません。それができたとしても、他の場所に大きなひずみがたまり、これがさらに大きな被害をもたらす事になります。
先日も台風が日本に被害をもたらしました。ただ、台風がおこらないと海水の温度が上がりすぎ、別の被害をもたらすことになるそうです。

東日本大震災でも、津波の後に海が豊かになったということでした。養殖しているカキがそれまで3年かかったものが、1年で大きく育ったという事です。海がかき混ぜられることで栄養分が増えたのが原因です。
人間には人間の都合があるのと同様、自然には自然の都合があります。
自然被害によって亡くなられた方々、残されたご関係者の方々には本当にお気の毒で悲しいことなのですが、人間には大きな被害をもたらすものが、自然には必要なものであったということなのでしょうか。

このように考えることは決してやさしいことではありません。また、災害が起こることを止めることはできません。
しかし、被害を小さくすることはできます。津波についても昔の人の知恵で、ここから下には家を建てるな、という言い伝えがあったようです。昔から自然と共存する知恵を持っていたのです。
今の人間はそれを忘れて、眺めがいいからと海岸沿いに家を建て、家を守るためにそこに防潮堤をつくる。また、その防潮堤を作るために山を切り崩す。山は10年や20年でできるものではありません。人間の都合だけを考えるのではなく、全体的に考えて自然を守る行動をすることが必要なのです。
人のために何かを行うということは、人間の都合ばかりを考えるという事ではありません。

2017年7月21日 (金)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話(3)

【第2部】7月の歌斉唱

7月の歌は「たなばたさま」を皆様で合唱いたしました。


【第3部】ひふみともこ先生から書籍のご紹介 

6月に東大寺で創作狂言「大仏くらべ」が演じられました。その狂言の作者の大江孝子さんにご招待をいただきました。

奈良の男と、東大寺を訪れた鎌倉の男が、それぞれ自分の地元の大仏自慢を繰り広げるのですが、やがて互いの良さを認め合うというのがあらすじで、その絵本が発売になりましたので、紹介させていただきます。 

「大仏くらべ」の絵本につきましては↓をご覧ください。

http://aizuyaichi.or.jp/mews/1607/

「大仏くらべ」の絵本は東大寺大仏殿と東大寺ミュージアム、鎌倉・高徳院、新潟・会津八一記念館の3ヶ所で販売されています。一般の書店では販売されていないようです。

2017年7月19日 (水)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話(2)

今日は関東甲信、東海、近畿、中国地方が梅雨明けとなりました。暑い日々が続いていますが、皆様、お身体ご自愛ください。

それでは、先日の「大阪 ひふみのつどい」のひふみともこ先生のお話の続きを掲載させていただきます。

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自分の御霊の中に神様がいらっしゃると認識することで、自分の中にも霊的能力があると分かることでしょう。特別な能力のある人が特別な修行をして得られる能力なのではありません。御霊の中にある普通の力なのです。

何故、そういう霊的能力が人に備わっているのでしょうか?

人が判断に迷ったときや、悩んだ時に御霊に問いかけることで正しい道に戻していただくことができます。

この答えは必ずしも明確な言葉で示されるわけではありません。

迷えば迷うほど、人間心で判断するとかえって深みにはまり込んでしまうのです。例えば最近インターネットで芸能人の夫婦喧嘩が公開されていますが、感情的になればなるほど、他人への恨み、自分自身の執着が増幅されてゆくのが分かります。

こういう時は周りが見えなくなっていますし、神様のご意図が分からくなってしまっているのではないでしょうか。

人間の怒りは15秒しか続かないとも言われています。早く正しい道に戻れるように、いつも自分の御霊と対話することで、自分の中には正しい道が示されるのだと気づいてほしいものです。

自己実現も大事であると思いますが、自分の金銭欲や名誉欲のためではなく、人間的な使命を取り戻すことが最も重要です。実際、仕事や家事に追われていたりするとそういう時間がとれないことはあるでしょう。

特に若いうちはあれが欲しい、これを手に入れたいと思い、それが成長の原動力になる場合もあるのですが、歳を重ねるうちに、経験からそういうものは実はあまり大したものではないと分かってきます。人間の成長というのは、魂の成長でもあります。私利私欲のための使う時間を減らすことで、魂の成長への時間が取れるようになるのです。

多くの人は目に見える「霊能力」をもてはやしますが、内なる霊的能力や神様という事を話すと、とたんにおかしなものを見るような眼でみたり、馬鹿にしたりします。しかし、このところ、科学的にも心と身体の関係は注目されており、村上和雄先生の「笑い」が遺伝子を目覚めさせるというお話や、大阪でも「大阪国際がんセンター」が「笑い」ががんに効くという実証実験を始めているという事ですが、「祈り」にも同じ力があると思います。

せっかく「霊力」を持っていても、一旦何かの権力や、お金を手に入れるとそれを失いたくない、という思いが強くなり、道を踏み外し、ついにはその力を無くしてしまいます。出会いもそれにつれて悪い縁がどんどん増えていって、最後には悪い人たちにいいように利用されて破滅してしまう、という事になります。

先日、残念ながら止まってしまいましたが、将棋の藤井翔太4段の29連勝が話題になりました。ご本人の素質はもちろんの事でしょうが、ひとつにはまだお若いのでお金のためとか、失うものが無いことによる「邪念」が無かったからではないでしょうか。

他人より優れた能力があれば、それを感謝し、いい方向に使わなければ退廃への道を歩むことになるのです。

せっかく神様が与えてくださった環境を否定して、人間心でわざと苦労するというのも正しい道ではありません。生活に困らない様な環境であるにもかかわらず、いやいやながら、わざと質素な食生活をしたとしても、それは逆効果です。また、毎日美食を続けるというのも同じです。身体が本当に欲している、喜ぶものが分かり、それを食べるようにすれば健康であり続けることができます。

「正しいもの」を正しく見分けられるように、清い魂にしておかなくてはなりません。正しい希望が自然と持てるように、分かるようになるには、常に感謝し、謙虚でなければなりません。

そうすれば色々な苦労や災難にあったとしても、自分自ら神様からいただいている答えを正確に理解し、実践しなければなりません。それを繰り返すことで、本当の「霊的能力」を手に入れることができるのです。

自分で求めず、考えす、他人に答えを求める人は、自分に都合のいい答えを求めて色々なところを渡り歩きます。そして他人にすがり縋り続けることになります。すがることも一つの執着になります。

外に答えを求めるのではなく、自分自身の中の「神様」に答えを見つけだせることが、本当の「霊的能力」なのです。その力を「畏れよ」とありますが、怖がりなさいという意味ではありません。謙虚に自分を謹んで、しかし自分からそれを求めてゆく、近づいてゆく努力をしなければなりません。

その力をもっと欲しいというのは邪欲です。しかし、その力に近づく努力も必要です。今、生きていることを尊び、感謝しながら自分の中の霊性に目覚めてください。

 

2017年7月17日 (月)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話

皆様

今日は東京でも35度を超え、今年初の「猛暑日」となりました。一方、ゲリラ豪雨や雷雨も地方によっては被害が発生しています。
皆様にはご平安にてお過ごしされますよう、お祈りいたします。

さて、大変遅くなりましたが、7月8日の「大阪 ひふみのつどい」でのひふみともこ先生のお話の要約が出来ましたので、数回に分けて掲載させていただきます。
大阪の会のイメージ写真を載せよう、載せようと思いながら、いつも忘れてしまっています。次回は忘れないようにどなたかにお願いしようと思います・・・・・

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平成2978日 大阪ひふみのつどいの要約

本日も九州地方で大雨が原因の災害が続いています。これ以上の被害がありませんように、難儀に会われた皆様の一日も早いご回復をお祈りしております。

【第1部】 霊的能力について

霊能力者というとスプーンを曲げるとか、一般の人には見えない色々なものが見える、聞こえるという特別な人を想像されるかもしれませんが、本日はそのような特別な力ではない、人ならば皆が持っている「霊的能力」についてお話をさせていただきます。

この神様からのお言葉ですが、いつも本題に入る前に、この部分を読むにあたっての心構えや神様の想いというものが初めの56行に書かれています。

人間は私利私欲ではない高い望みを持ち、それに向かって進んでいかなければなりません。それを行うにあたり、神様の願いを実現するのだという思いをもって進めば、何も心配したり、疑問に思ったりする必要はありません。神様が全てお導きくださいます。

ただ、「素直に自分の置かれた状況を受け入れる」ということは言葉通りにとらえて、いつもその状況を甘受する、という事ではありませんので、注意が必要です。

物事が進まなくても努力をせずに「神様のご意図なので仕方がない」とあきらめたり、「棚から牡丹餅」という言葉がありますが、宝くじが当たるように物質的な利益を得た場合に、「神様のご意図なので何をしてもいいのだ」と勝手に解釈してしまう。人間はこのように誰かのせいにすることで、自分の責任を回避しがちです。

今やっていることが神様のご意図に沿うものなのかどうなのか、自分に起こっている出来事は神様がどういうご意図で起こしてくださっているのか、それを正しく見極めることが必要です。自分の望みが私利私欲なのか、神様のご意図に沿ったものなのか、それを理解すること、そこでの自分の行いが正しいかどうかを常に求めてゆくことで、自分の魂が磨かれていくのです。

どうすれば霊感が持てるのだろう、と思う人は多いでしょう。しかし、それは単なる低俗な好奇心なのです。例え何かが見えたり、写真に写ったりしたとしても、それを周りに吹聴することで、かえって低俗な邪霊に使われる存在になってしまいます。

今回の神様のお言葉はそのような好奇心に応えるためのものではないと、初めに神様はおっしゃっています。

 

人という存在は本来は神様の「分け御霊」をいただいていますので、もともとすべての人が霊的な能力を持っています。

以前、東京の湯島天満宮の権禰宜の小野様がお話になられていましたが、「人は皆、神様の魂を持っています。しかしすぐにそれは穢れてしまうのです。毎日、「大祓の言葉」を奏上しているとそれが清められ、心の穢れを防ぐことができます。2年間も上げていると覚えられます。」との事でした。

私が気仙沼で慰霊をするときに、ご一緒に来て下さる岩手県県庁の方は10年以上、出羽三山で修験道の修行をされていますが、慰霊の前に祓の言葉を上げられています。

「神から人へ」「神誥記」の神様からのお言葉を読んでいただいても同じ効果があると考えています。

2017年6月 3日 (土)

大阪5月の会のひふみ先生のお話の要約(3)

大阪5月の会のひふみ先生のお話の要約(3)

宇宙の中で地球は地球の役割があるのだと思います。そして宇宙の調和の一端を担っています。宇宙全体が一つの生命体です。自分はその一部であり、自分がどのように生きていくと宇宙の調和に役立つのか、それを考えて生きなくてはなりません。それにより、すがすがしい神様の「気」を受け取ることができます。
受け取った「気」というのは、それをまた他の人のために使うものです。それを惜しがって自分の内部にため込んでいくと、執着などで気が穢れていきます。「気」を他者に分け与えること、小さいことでも他者を利する、それを行う事が非常に大事なのです。
その行いが祈りであり、祝詞なのです。そういうことを行うのだという事を神社で神様に宣言するのが祝詞なのです。

純粋無垢な心で神社にお参りし、祝詞を唱えることで神様は「気」を預けてくださいます。その「気」は自分がもらったものではありませんので、ため込むものではありません。必要な時に、必要なところに使うためのものなのです。
初めにも申し上げましたが、物事が自分の思い通りにいかなかったとしても、それで人を恨んだり、呪ったりしてはいけません。かえって自分の魂を汚すことになります。
この世の中に生まれてくることも人間心では自分の意志ではないように思えます。(もっとも前世で決めてきているとも言われてはいますが)100%自分の意志で決められることはほんのごく一部です。そして過去の行いの中で決められた今世の自分がある、ということです。

「いろは」は神から人へ、「ひふみ」は人から神への祈りだと言われています。
その循環が「いろは」「ひふみ」に表わされれています。言霊が循環して、「いろは」を発することで神様の祈りが自分の中に入ってくる、「ひふみ」で自分の祈りを神様に届ける、という循環なのです。
万葉集のように千年以上も前の言葉が今読んでも分かる、これはすばらしいことです。その言霊がことばの中に受け継がれており、世代を超えてつながっている。そこには言霊があり、その言霊を発することで人類は何万年も祝詞を唱え続けているという事なのです。

人の祈り、言霊を聞く事で神様もまた力を得られ、そのお力を人に分けていただけるのです。
言霊の力をいただくためにも「いろは」「ひふみ」はぜひ声を出して奏上してください。

(終わりです)

2017年5月30日 (火)

大阪5月の会のひふみ先生のお話の要約(2)

努力している人を見ていると誰かが何とかしてあげたいと思っているでしょうし、その人が本当に頑張っているのでしたら損得勘定抜きで助けてくれる人が出てくるものです。

「ことばに表し」とありますが、これは言葉で繕いなさいという事ではありません。
思っていることが言葉に現れるのです。その人の日頃の思い、行い、人との接し方、生き方。
そういうものが発する言葉に現れてきます。
「先の先まで」という部分ですが、先ばかり見て今をおろそかにしてはいけません。もちろん、先の事を考えずに「アリとキリギリス」にでてくるキリギリスのように今を享楽的に楽しむという事でもありません。やみくもに先を心配するではなく、今をしっかり行動して、後は神様にお任せしなさいという事なのです。
現在の人類はとにかく人間中心です。霊的視点というのも難しいのですが、自分は地球とか宇宙とかとつながっていると考える事が、結果的には霊的視点につながるということになるものなのです。

先日も訪問した気仙沼での話になりますが、現在、「かさ上げ」という事で近くの小山や丘を崩して津波の高さよりも土地を高くしよう、という事が行われています。ただ、山の養分が川を伝わって海に流れ、それを魚が食べ、それを人が、という連鎖が断ち切られてしまう危惧を感じています。
また、この世で終わりというのではなく、臨死体験をした方のお話を聞きますと、あの世とこの世は隣り合っているものだと感じます。人間は死んだら終わり、ではありません。物質的に生きている、肉体的に生きている、と言うだけではなく、全ての魂は魂の世界とつながっています。この世の中で経験したことはそのままあの世にもっていけるものです。
証明のしようはないのですが、理屈では説明でいない事はいくらでもあります。これまでに紹介しましたように、震災後に不思議なことはいくらでも起こっていたのです。

人々は神社へ「お願い」に行くのですが、神社は本来人の願いを聞いてもらうための場所ではありません。
人というものは神様の「分け御霊」をいただいているもので、それが真の使命に目覚めるための場所なのです。人が神様の「分け御霊」であるという事を認識し、神様に約束をささげるための場なのです。
そこで「自分はこう生きます」ということをお約束するのが「祝詞」です。「神様が願われているように生きていきます。生きていかせてください。」というのが祈りの本質なのです。

(続きます)

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