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カテゴリー「勉強会の復習」の記事

2018年4月10日 (火)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

約3年ぶりに出雲大社様へお参りさせていただくことができました。
Izumo1

今回は、前回荒天のために断念した「稲佐の浜」へ行き、お砂をもらって来ることができました。
Izumo2

めでたし、めでたしのはずでしたが何と、その出雲で地震に会ってしまいました。
最大深度が5強という、個人的には阪神淡路大震災以上の揺れでした。ホテルの7階でテレビを見ながら、大きな余震が来てもいいように、服を着替えてそのまま寝ていました。
お怪我をされた方はおられたようですが、幸い死者も出ず、大きな被害もなかったようです。
この出来事から何を学べばいいのでしょうか・・・・・・

さて、先日の大阪でのひふみともこ先生のお話の最終回となります。

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本当の自信、揺るがない自信というものは決して失われるものではありません。

繰り返しになりますが、人の尺度ではなく、神様の尺度で考えるように努力すれば、神様に近づく事ができ、神様のご意図を知ることになります。全てのもとはひとつです。その進化を歴史として背負って生きている私たちには、それを理解することができます。私たちはそのようにして進化してきました。例えそういった視点を忘れたことがあっても、何か、誰かを見ることで思う出すことができます。羽生選手もいきなり生まれてきたのではなく、これまでの進化の中で、私たちが真の御霊を思い起こすための凝縮した存在なのかもしれません。
日本には世界に誇れるものが色々ありますが、このところ漫画やアニメも有名になってきています。ただ、あの手塚治虫さんもいきなり出てきたのではなく、昔々の鳥獣戯画に起源がある歴史が凝縮した存在なのかもしれません。それは歴史の中で生まれるべくして生まれてきたものです。手塚治虫さんが静かな部屋の中を表現するために「しーん」という擬音を開発されましたが、これは突然出てきたものではなく、「森(しん)として」とう言葉があったからこそ生まれてきたものです。
私は大学で日本語を教えていますが、学生に好きな俳句をあげるようにいいますと松尾芭蕉が特に人気があります。「古池やかわず飛び込む池の音」「静かさや岩にしみいる蝉の声」などがあがりますが、読んだ言葉を情景として共有できることは素晴らしい文化だと思います。
素戔嗚尊が読まれた「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本最古の歌だと言われていますが、それが現代にも伝わっており、しかもみんなが理解できるということは、日本人の根源が魂の中に生き続けているという素晴らしいことなのです。
これらの日本人の歴史、文化を受け継いで今の私たちが存在していることを忘れてはいけません。

目に見えない、しかし一つの共通の原点が私たちの中には宿っています。それが今後も何百年も受け継がれていくように私たちは日本の魂を伝えていかなければなりません。


【第2部】3月の歌斉唱

3月の歌は「うれしいひなまつり」を皆様で合唱いたしました。

【第3部】ひふみともこ先生からのお話

□奈良の聖林寺というところで狂言の奉納がされます。
3月25日(日)の14時からなのですが、以前ご紹介した「大仏くらべ」という狂言です。お時間のある方はぜひご覧ください。

□ご本の紹介「日本人として知っておきたい皇室の祈り」伊勢雅臣著
国際派日本人養成講座というブログを書かれている方で、ひふみ先生の大学でも講師をされておられます。

□新しい歴史教科書(新しい歴史教科書を作る会)
自虐史感から脱するべく、作られた教科書で国の審査も通っており、採択する学校も出てきています。正しい歴史を次世代に伝えるためにも、ぜひ一度お読みください。

□東京ひふみのつどい
去年から2回ほど靖国神社で会館をお借りして、ひふみのつどいを開催させていただいています。最初に正式参拝をして、その後お話をさせていただいています。靖国会館は格式もあり、非常に敷居が高くて近寄りがたいと思っていたのですが、開催させていただきますと本当に良かったなと思いました。
戦争のことを理解しつつ、ただ、嫌がるだけではなく、戦争を起こさないように考えていかなければならない、という思いを新たにしました。日本が戦後70年も戦争がないのは、単に戦争放棄を憲法でうたっているからだけではなく、日本人の意識としてその思いが伝わっているのだと感じました。戦争のことも忘れず、正しく理解していく必要があります。
東京の次回は7月7日の開催予定です。


2018年4月 6日 (金)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

本日の大阪は久しぶりの雨となりました。私の家の近所の小学校では、入学式が行われており、多くの初々しい子供たちがご家族の方と一緒に、若干不安げに歩いていました。桜は散ってしまいましたが、午前中曇天ながらもかろうじて雨は降らなかったので良かったですね。

明日は久しぶりに出雲大社様にお参りさせていただく予定です。お伺いさせていただく機会がなかなかなかったのですが、明日の出雲地方の気温は最高9度ということで、3月並みの気温だそうです。
その他の地方もかなり寒くなるようですので、お風邪などお召しになりませんように。

それでは、引き続き大阪3月の会のひふみともこ先生のお話の要約を掲載いたします。

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大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

自分の努力ももちろん大切ですが、それが報われるときには周りの人からいただいた力も大きいことでしょう。生かされているという意味を理解していない人は、人への感謝がなくなり、それがまた周りの人から嫌われる原因となるという悪循環になっています。自分がどのように支えられているのか、守られているのか、自分はどのように人を支えていくのか、守って行くのか。短い一生のなかで、自分の使命はなにか、人の魂の成長に役立つように生きるにはどうしたらいいのかを考えねばなりません。
自分なんか人の魂の成長に役に立つことはない、と考える人もいますが、そんなことはありません。誰かひとりだけでも喜ばせた、という事で十分に人の生きてきた意味はあると思います。

謙虚の心、感謝の心は自分自身そのものです。神様への感謝、自然への感謝、家族への感謝があれば、そこに謙虚さとか自信が生まれます。神様への感謝がなければ、謙虚さも自信もありません。不平不満を持つ人は、勝手に人と人とを比べているにすぎません。本当の自信はそういう事があっても崩れるものではありません。人と比べて自信があるというのは、傲慢であり、自信ではありません。能力、体力、財力、そういうものは、年を取るごとに、いつしか体力、知力の衰えに伴い失われます。
それに固執するのは、我欲に追われる悲しい惨めな人生です。常にそれらを失うまいとして生きるだけの人生となります。相手を陥れようとか、体を改造しようとか、戦々恐々として生きていくだけの人生です。
ある尺度では自分はあの人のようにはなれない、というのが分かっていても、例えば羽生選手の演技を見て、あのようになりたい、と思うのはスケートはできなくても、あの場に立っている羽生選手の生き方から学んでいるのではないでしょうか。

2018年4月 4日 (水)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

新年度が始まり、電車に乗ってもこの人は新人だな、という初々しい方々を見受けるようになりました。桜はもう、散り初めですが、本当に春らしくて、花粉以外はいい気候だと感じます。

さて、本日も先月の大阪ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約を掲載させていただきます。

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謙虚というのと謙遜は似ているようですが異なります。自分の役目を正しく認識せず、自分のことを悪く言うのは、それはまた、神様への冒涜になります。人はそれぞれの役割を神様からいただいていますが、それができないという言い訳にもなるからです。人間心での評価では、財力、体力などいろいろな能力や才能を持っている人もいますが、それはその役割があるから与えられている力なのです。
いま、ちょうどパラリンピックが行われていますが、それぞれの障害にも負けず、見ている我々に力や感動を与えてくれいます。選手の方々はそういう役割のために障害を負わされているのだと思います。
みんな、この世に生まれてくる時には、行うべきことを約束して生まれてきています。そのために与えられた力を自分の名誉のためにではなく、人に勇気や感動を与えるように、常にどう使うのか、どう使うべきかを考えなければなりません。オリンピックで羽生結弦選手が2連覇を成し遂げられましたが、彼の技術や演技だけではなく、彼の生き方や、行動に周りの人は感動します。宮城県出身の彼が単に金メダルを欲しい、というのだけではなく、被災された人のためを思って演技し、またそれらの方々から力をもらった、その結果が金メダルだったのではないかと思います。

ひと、一人一人が自分の役割を自覚して、生ききってほしいというのが神様の願いです。
生ききるというのは、魂の昇華です。羽生選手だけが神様から恵まれているのではありません。人はすべて同じで、等しく神様から愛されています。
全ての人は自分の中に、神様からの分け御霊を持っています。それは自分のものではありません。「いただいている」のではなく、「お預かりしている」のです。自分自身の中にあるその分け御霊を愛することなく、勝手な尺度で他人と比べ、それに不平不満をいうのは神様のご意図に背く事です。なぜ、神様が自分をこの世に降ろされたのか、そのご意図を理解せず、不平不満をいう事は自分の使命を忘れているという事です。神様のご意図を読み解けないと、それが不平不満につながりますが、神様の思いを理解して生きると、それが感謝になり、自然と謙虚な生き方となるのです。

神様への感謝が自分への愛に変わり、その愛が自信となります。自信というのは自分の中の神様を信じることです。決して勝手に慢心することではありません。タンポポの種はたくさんできますが、そのすべてが花を咲かせるわけではありません。アスファルトの上に落ち、花を咲かせないまま役割を終えてしまう種もあるでしょう。でも、その種はそれで神様を恨んだりすることは無いと思います。
人間も不足、欠如を感じないで自身の内部をしっかりと見つめ、自分の中の神様と対話し、感謝を続けることが必要です。人よりも恵まれているなと感じたら、それを他人のために使う、それが大切なのです。幸福だと思えば、自分自身のこれまでの生き方を振り返りつつ、人のために、神様にいただいたご慈愛をくみ取りながらさらに自分を高めてゆく。神様といただいたご慈愛を信じる心が自信なのです。
「神の前にて己の生の、生かさる意味を悟ること」という一文がありますが、これがすべてを言い表しているかと思います。

(続きます)

2018年3月31日 (土)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話

皆様

本日で3月も終わりですね。実質は昨日で平成29年度も終わりだという会社も多かったのではないでしょうか。
また私事で恐縮ですが、平成29年度は本当に忙しく、あっという間の一年でした。それでも大過なく過ごさせていただきました事に大変ありがたく感じております。
今年は急に暖かくなったこともあり、今週が桜の見ごろとなっています。明日はきっと色々なところで花見の宴が行われることでしょう。
会社の近くの大阪の護国神社の桜も満開でした。

Gokoku

今日は朝から近所の長居公園にお花見に行ってきました。

Nagai

桜が池に映ってなかなかの美しさでした。

以上が前振りでして(長くて申し訳ありません)・・・・・3月の大阪ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約が完成しましたので掲載させていただきます。

当日の教材は「謙虚さと自信についてというものでした。
では、要約はこちらから

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平成30年3月17日 大阪ひふみのつどいの要約

前回から4ヶ月も間が空いてしまいました。昨年末にふとしたことで左手首を骨折して、簡単なものですが手術も受け、1泊でしたが入院も経験しました。継続的な診察が必要で、急に1月の会を中止させていただきました。余談ですが点滴もされて、いい血管だとすごくほめていただいたのですが、そのせいか5回も管を刺すのに失敗されて少々痛い思いをしました。今はほぼ完璧に直っています。皆様にはご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

【第1部】 謙虚さと自信について

今回も初めの数行は神様から、人間に向けてどのように生きるべきかの心構えのお言葉が記されています。手を取り合って、多くの人の次元を上げて、そこに来なさいという事です。今の世界の情勢を見ても、人間心の世界の低い次元に囚われている人がたくさんいます。神様がいつもおっしゃっているように、人々の間に縁を結んでいけば、その絆はもっと早く結ばれ、それが発する光も強くなります。少なく見える集まりでも、その心の浄化が進めば、それは大きなうねりとなってつながっていくのです。

本日の教材は「謙虚さ」と一見、反対のように見える「自信」についてのお話です。
今の人は神様を否定している人が多いのですが、本来、神様のご意図にそってその流れに従って生きていくのが自然の生き方です。そういう生き方をしている人は、神様に向きあって日々生きており、その自然の姿が謙虚だという事になります。
人間の役割は神様によって作られ、それぞれの役割を行う約束をして生まれてきました。
人間が一番偉い、だからその生活のために自然を破壊する、というのは人間が傲慢になっているという事です。虫や動物や山や海や自然を犠牲にするというのではなく、自然を大切にする、調和して生きる道を選択することが自然の法則なのです。
東日本大震災の後も、土地のかさ上げだとかより高い防潮堤を築いたりしていますが、それは神様の目から見れば傲慢であり、人間のおごりであるということです。
神様は人間が本来の姿に戻ったときの状態を謙虚だと言われています。そして、それが人間の自然の姿なのです。その自然の姿が崩れた時に、天災等がおこるのです。
自分が、人が、という自己中心型の考え方に人間は陥りがちなのですが、それは我欲であり、傲慢な心の表れです。本来の自然との調和をしていれば、もっと幸せになるはずです。
この我欲がもっと大きくなっていくと、戦争とか、テロとかにつながっていきます。
文化が進んだことによって、今では数年前には考えられないほど多くの新しい種類の犯罪が起こっています。神様から遠ざかることで、かえって悩みを深めているのが今の人間の姿です。この状態は神様からは地獄のように見えているのかもしれません。


2017年12月 2日 (土)

大阪11月の会の復習(続き)

大阪11月の会の復習(続き)

<平成29年11月19日 大阪ひふみのつどいの要約の続きはここから>

【第1部】 平等について(続き)

楽して人生を生きられるとうれしい、と思うかもしれませんが、そのままでは魂の成長ができないような仕組みになっているのかもしれません。自分を甘やしてしまうと、人に分けるのはもったいないなどと魂の成長を阻害してしまう事になります。恵まれていると感じる方は、それをどのように活かして、人のため、社会のために使っていくのかを考えなければなりません。

人は与えられていると文句は言いませんが、無いものを見つけて文句を言うものです。しかし、与えられているものがどれほど多いのか、それに気づいていない人が多いのも事実です。まずは与えられているものに感謝することが大切です。

目に見える違いというのは単なる不満であり、それを等しくするというのは「妄想」です。それに気づきなさいと神様はおっしゃっています。「お金がある」という事も「お金が無い」ということも同じく、魂の成長のために与えられた課題なのです。魂の成長進化のためには、生きている間に行わなければならない課題をみんなが持って生まれてきているのです。
その魂の成長進化には人により差があります。その差ばかりを不満に思って平等平等というのは間違っています。

「平等」というのであればみんなが平等なのです。しかし、人それぞれに「違い」があります。その違いというのは、人それぞれに仕事があるようなものです。みんなが同じ仕事をしていたら逆に困った事になってしまいます。みんなの役割が違うので、この世の中が成り立っているというのと同じ事です。役割が違うという事は差別ではありませんし、必要な違いなのです。

自分の置かれた立場を理解し、神様が与えて下さった課題を理解して、それを乗り越えていく事が私たちの使命です。それぞれの使命を果たすことが、魂の昇華をもたらし、地球の進化に役立っていくのです。

最後になりますが、平等という言葉は権利などと同じように日本に昔からあった「大和言葉」ではないということらしいです。輸入されてきた概念で、一部の、これらの言葉を利用したい人のために作られた言葉ですので、あまりこの言葉に囚われない方がいいかもしれません。個性があるのが自然であり、それが本当の神様の視点なのだという事を理解して行動していかねばなりません。


【第2部】11月の歌斉唱

11月の歌は「紅葉」を皆様で合唱いたしました。
この歌詞が作られた場所である碓氷峠には日本武尊の創建とされる熊野神社があり、八咫烏を祀る社祠もあります。日本書紀に、日本武尊は東征の帰路、八咫烏(やたがらす)に導かれて碓氷峠に登り、亡き妻を偲んで「吾嬬者耶(あづまはや・あゝわが妻よ!)」と三度嘆かれたと伝わっています。

2017年11月28日 (火)

大阪11月の会の復習

皆様

大変掲載が遅くなりましたが、11月19日(日)に今年最後の大阪ひふみのつどいを無事に終了させていただきました。ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。
来年はお正月早々になりますが
1月6日(土)
が初回の開催となります。

当日の「ひふみのつどい」でのひふみともこ先生のお話の要約を以下に掲載させていただきます。
教材は「平等」という内容で、詳細に関しましては↓をご覧ください。
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/2005-f888.html

<平成29年11月19日 大阪ひふみのつどいの要約はここから>

【第1部】 平等について

神様の祈りは人間だけではなく、全ての物が進歩し、昇華することです。神様の前ではすべてが平等です。決して信じる者だけが救われるというものではありません。

そもそも何をもって「平等」というのでしょうか。なんでも「平等」「平等」と言いますが、例えば運動会でも全員が一緒にゴールすることがすばらしい、というような考え方が出て来ています。
人間だけではなく、世の中に存在するものは全て神様の恵みをうけています。
私たちが自分の物だと思っているものは、本当に自分の物なのでしょうか。自分の物というものは死んだときに持っていけるものなのです。毎日いただいている食べ物でも、生きとし生ける生命をいただいているように、私たちは神の恵みをいただきながら日々生きているのです。自分の物だと思っているもの、それは決して自分ひとりの物ではありません。

人間は本来何も持っていない存在です。例えば今、着ている衣服にしてもこれらの材料は綿花であったり、絹であったりするのですが、それらは自分で生み出したものではありません。植物や蚕が生み出したものを自然の恵みとして使わせていただいているのです。
生きているものが死んだら微生物に分解され、土にかえる、それが植物になり、またそれが動物に食べられるというその自然の循環があり、それが他の物を支え、育ててゆく存在となるのです。
無力無能なものがお互いに支えあい、分かち合いながら宇宙の進化に貢献しているのです。
しかし、そのまま無力無能でありつづけるのであれば、それは哀れだと神様はおっしゃっています。この「哀れ」という表現は決して神様が侮蔑しておっしゃっているのではなく、神様から見れば皆、平等で無力なかわいい存在なのです。
人には全て等しく神様から与えられているものがあります。それを人間世界の尺度で無理に比べて、自分たちの都合のいいように差別を見出しているのが現実の世界ではないでしょうか。財産、能力、性格、容姿など、つまらないものに囚われてその違いを見つけて「平等じゃない」「不公平だ」と言っているに過ぎないのです。
それが同じになってしまうと違いがなくなってしまいます。違いを無くすことが平等ではありません。
現実問題として、美人であるとか、金持ちであるとかで、この世の中で暮らすには不都合がおこる事もあるでしょう。しかし、それはその人の魂の成長のために与えられているものであり、神様から与えられたものなのです。平等をもとめるのではなく、魂の成長のためにそれを受け入れることが必要です。
神様は魂の成長の機会を皆に「平等」に与えてくださっているのです。

2017年9月17日 (日)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

今回の台風18号の暴風雨で被害に会われました方々に心よりお見舞いを申し上げます。
まだまだこれからも被害は拡がりそうです。台風の通過地域に当たられる皆様には、くれぐれもご無理をなさいませんように。

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の最後を掲載いたします。

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【第2部】9月の歌斉唱

9月の歌は「赤とんぼ」を皆様で合唱いたしました。

【第3部】ひふみともこ先生から書籍のご紹介

田中英道様著 日本史の中の世界一 育鵬社

この本の中には日本の歴史の中で、私たちが良く知っている遺跡や建築物に込められた、日本人の考え方のすばらしさが語られています。
・伊勢神宮のご遷宮
・仁徳天皇陵
・奈良の大仏殿
など、多くの人々の力が一つになって行われた大きな仕事ですが、これらは決して、無理矢理に集められた人々が酷使されて行われたものではありません。
一度お読みいただけましたら幸いです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4594058566/

2017年9月14日 (木)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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では、どのようにして光に近づけばいいのでしょうか。
どこかにある光をさがす必要はありません。
このところ、「自分さがし」などと言って、自分は本当の自分ではないと考えたり、ここにいる限り自分は力を発揮できないとか、あの人さえいなければもっと良い人生が送れるのに、などと思いがちですが、実は光は今、その場所に存在します。
それを見出すことが「行」なのです。
自分を高めていかなければいい出会いはありません。自分が高まらなければ、出会いも仕組まれないのです。
この世に生まれ来て、見えない力に導かれ、そこで出会ってきた人々とのご縁、そういった一連のものに感謝をささげて、これらの奇跡が重なって、今、生きていられるという奇跡に感謝を感じながら生きることが大切です。

そうやっていい生き方を求め、いい生き方を実践する人は、やがてどのような場所からでも何かを得ていきます。何もしないことが命の流れに身を任せることではありません。そこには努力、忍耐が必要です。与えられた中での努力、忍耐。それで失敗しようが、成功しようが、それは神様にお任せする、そこから学ぶこと、それが悟りです。人間界の結果が答えではなく、「悟ったこと」それが答えなのです。

遠くに見える目標に早く近づこうとして、近道を探すことは、結局は魂の成長には逆効果です。要領のいい人も良くいますが、それは決して本当の得ではないのです。本人は得をしたと思っているかもしれませんが、霊格的には大きな損をしています。根気強い人、忍耐強く努力を続ける人には、周りの人から、何かをしてあげたい、助けてあげたいという思いを呼び起こすものなのです。それが長い目で見ればその人の「得=徳」となります。

霊格は現世の「はかり」ではかることはできません。
しかし、霊格の高い人というのは波動といってもいい目に見えない明るさ、そばにいて心地よさを感じさせるものを持っています。「気」とか「オーラ」などと呼ばれるものなのかもしれません。そしてその人の周りにはいつも人が集まるようになります。そのような人々が集まることでいいエネルギーを生み出していくことになるのです。
自分が暗い波動を出していれば、似たような人々が集まってきます。

自然の中にいると、大きな安らぎを感じるものです。自分の周りのすべての物を受け入れようと感じます。その自然の中で、すべての物にできることをしてあげる、自分のできるすべてを与える。そういう行いをすることを神様は望まれています。
陶冶というのは鍛えるという事です。人格はこの世で終わりですが、霊格は過去から続き、これからも続くものです。ただ、人格のことをさておいて、霊格の修行だと言って人里離れた場所で修行をするだけでもいけません。
その人の人生で降りかかってくる苦労を受け入れ、感謝に変えることで「人格」も「霊格」も磨くことができるのです。生きているうちは全てが修行です。御霊を磨く機会を見逃さないで、苦労から逃げ出さないで、毎日を大切に暮らしてください。

2017年9月 9日 (土)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(2)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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自然と向き合う人々は、常に自然の強さ、怖さ、ありがたさを知っており、自然との長期的な共生をはかってきました。
今年も色々なところで天災が起きています。それは全て自然の摂理であり、神様のご意図なのです。人間が如何にいやだと思っても、それを止めることはできません。そのうちには火山に蓋をして、噴火させないようにする、というような科学的な方法ができるかもしれません。それができたとしても、他の場所に大きなひずみがたまり、これがさらに大きな被害をもたらす事になります。
先日も台風が日本に被害をもたらしました。ただ、台風がおこらないと海水の温度が上がりすぎ、別の被害をもたらすことになるそうです。

東日本大震災でも、津波の後に海が豊かになったということでした。養殖しているカキがそれまで3年かかったものが、1年で大きく育ったという事です。海がかき混ぜられることで栄養分が増えたのが原因です。
人間には人間の都合があるのと同様、自然には自然の都合があります。
自然被害によって亡くなられた方々、残されたご関係者の方々には本当にお気の毒で悲しいことなのですが、人間には大きな被害をもたらすものが、自然には必要なものであったということなのでしょうか。

このように考えることは決してやさしいことではありません。また、災害が起こることを止めることはできません。
しかし、被害を小さくすることはできます。津波についても昔の人の知恵で、ここから下には家を建てるな、という言い伝えがあったようです。昔から自然と共存する知恵を持っていたのです。
今の人間はそれを忘れて、眺めがいいからと海岸沿いに家を建て、家を守るためにそこに防潮堤をつくる。また、その防潮堤を作るために山を切り崩す。山は10年や20年でできるものではありません。人間の都合だけを考えるのではなく、全体的に考えて自然を守る行動をすることが必要なのです。
人のために何かを行うということは、人間の都合ばかりを考えるという事ではありません。

2017年7月21日 (金)

大阪7月の会のひふみともこ先生のお話(3)

【第2部】7月の歌斉唱

7月の歌は「たなばたさま」を皆様で合唱いたしました。


【第3部】ひふみともこ先生から書籍のご紹介 

6月に東大寺で創作狂言「大仏くらべ」が演じられました。その狂言の作者の大江孝子さんにご招待をいただきました。

奈良の男と、東大寺を訪れた鎌倉の男が、それぞれ自分の地元の大仏自慢を繰り広げるのですが、やがて互いの良さを認め合うというのがあらすじで、その絵本が発売になりましたので、紹介させていただきます。 

「大仏くらべ」の絵本につきましては↓をご覧ください。

http://aizuyaichi.or.jp/mews/1607/

「大仏くらべ」の絵本は東大寺大仏殿と東大寺ミュージアム、鎌倉・高徳院、新潟・会津八一記念館の3ヶ所で販売されています。一般の書店では販売されていないようです。

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