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カテゴリー「再生にむかって」の記事

2014年9月28日 (日)

気仙沼だより(27)

今回の御嶽山の突然の噴火の被害にあわれました皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
現時点ではまだ、被害のすべてが明らかになっていませんが、これ以上のお障りがありませんようお祈りいたしております。

さて、ひふみ先生が9月21日に気仙沼に慰霊に行かれた際の「気仙沼だより」を掲載させていただきます。気仙沼だよりも今回で27回を数えることになりました。
ひふみ先生とずっとご一緒いただいております岩手県のS.K様、本当にありがとうございます。

気仙沼の報告㉗(平成26年9月21日)

●平成26年9月21日 
2か月ぶりの気仙沼です。空は真っ青で、秋の爽やかな空気と日差しが肌に心地よく感じられます。今日は午前中は気仙沼の階上公民館、午後は慰霊を予定しています。

●気仙沼市 階上(はしかみ)公民館
 階上公民館へ、館の管理人で元船乗りのK.Kさんにお会いしに来ました。K.Kさんの体験談に表われているK.Kさんの生き方が非常に勉強になるからです。K.Kさんは78歳。お父様は近衛兵(このえへい)として昭和天皇にお仕えされていましたが、戦時中に艦砲射撃を受けて、K.Kさんが幼いころに亡くなられます。お父様を亡くされてからは、丁稚奉公(でっちぼうこう)や靴磨き、映画館の看板描きなどを経て、無線通信士となり、世界中を遠洋漁業で回ってこられました。
丁稚奉公時代は屋根裏に藁(わら)を敷いた上で寝かされたそうです。藁は硬く体にチクチクします。棒で叩いて柔らかくし、それに和傘の紙を巻いて布団代わりにされたそうです。靴磨きをしていて顎(あご)を蹴られたこともあったそうです。船乗りの仕事は重労働を遥かに越えた過酷な労働です。その中で、辛いことや悲しいことにくじけることなく、心を荒(すさ)ませることもなく、明るく優しく生きてこられたことがよくわかります。
 お昼ご飯をご馳走になってお暇(いとま)しました。ありがとうございました。また来ます。若輩者ですが、これからもよろしくお願いいたします。
心の中で手を合わさずにいられませんでした。
 
●気仙沼市 慰霊
 今回は海沿いの3か所、①岩井崎、②片浜地区海岸、③商工岸壁で慰霊をさせて頂きました。
真っ青な海と空。海面はまばゆくキラキラ輝きます。
 空気がきれいなので日差しが背中にじりじり痛いほどです。
 3か所のうちの1か所は、S.Tさんの従兄さんが津波で犠牲になられた場所です。奥様と3人のお子さんを残されての死です。さぞ無念だったことでしょう。
どうか安らかにお眠りください。 
そして私たちを見守っていてください。

●気仙沼市 街の復興
 震災から3年半の月日が経ちます。街には嵩(かさ)上げ途中の土の山が幾つも見られます。
 気仙沼の震災の象徴だった共徳丸が撤去されたり、新しい大型店が営業を開始したりしてきために、仮設商店街への客足もかなり落ちてきたそうです。仮設商店街で働く人たちや仮設住宅に住む人たちを取り残しながら、復興は静かに進んでいっています。

●気仙沼市 早馬神社
 最後は早馬神社さんです。まだ午後3時なのに、太陽は早くも傾きかけて斜めから日が差し込みます。風は少しヒンヤリして肌寒くさえ感じられます。
9月19日が例大祭、10月5日が大祭の日ということで、梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんは少しお疲れのようでした。気のせいかな?
 神社が最も大変なのは12月から2月にかけてだそうです。これからますますお忙しくなる一方ですね。どうかお体にお気をつけてお過ごしください。


早馬神社さんから一ノ関に向かいます。
黄金色に実った稲が広がっていました。既に刈り取られて干されているものも見られます。

今回は久々に心を込めてゆっくり慰霊をさせて頂きました。
いつものことながら、岩手県県職員のS.Tさん、ありがとうございました。

2014年7月28日 (月)

気仙沼だより(26)

皆様
ひふみともこ先生より、今月、気仙沼へ慰霊に行かれた際の「気仙沼だより」をお送りいただきましたので掲載させていただきます。
ひふみ先生は、あの3・11以降、神様の「亡くなられた方への鎮魂のみが慰霊ではなく、生きている方々への「生き残った」意義の理解と生活のために支援することも慰霊」であるというお言葉により、東北への行脚を続けておられます。
今回は学生さん8人も同行され、にぎやかな訪問だったようです。
先日の大阪「ひふみのつどい」で、学生さんたちがK.K.さんにコーラスを披露されている部分のビデオを拝見しましたが、その後のK.K.さんの晴れやかなお顔を拝見していますと、歌も立派な「言霊」だなあ、と感じました。

気仙沼の報告㉖(平成26年7月21日)

●平成26年7月21日 
 気仙沼駅前のホテルを8時半ごろ出発。今回は大学生8名も参加しました。その大学生の泊まっているホテルに迎えに行き、まずは地福寺へ。
 地福寺のある杉ノ下地区では93名の方が犠牲になられました。海岸線にはお墓があるのですが、墓石は皆、倒れたり壊れたりしています。津波の威力を物語っています。
そのすぐ近くに岩井崎国立公園があります。なんと、明後日23日は天皇皇后両陛下がご訪問になるそうです。我々は露払いみたい。そんな偶然にちょっと誇らしいような気分です。
公園の松林を抜けると青い外海と大空が眼前に広がります。今日は天気も特に良く、波がキラキラ輝き、磯に波がぶつかるたびに白い波頭が砕けます。学生たちも磯に降りてすっかり童心に。
30分くらい遊んでから、階上(はしかみ)公民館に向かいました。

●気仙沼市 階上公民館
 階上公民館に来た目的は、元船乗りK.Kさんにお会いするためです。K.Kさんは階上公民館の管理人をされています。もう80歳に近いのに元気いっぱい。
 2時間くらい歓談。船乗り時代に世界中を周ったお話には興味が尽きることはありません。
 でもその裏には想像もつかないほどの辛い苦しい経験がおありです。笑いながら
「漁師は船が出港したら、することねえからすぐ寝るんだ。楽なもんだよ」
と仰います。
アリューシャン列島などでの壮絶な体験もさらりと話されます。飛び散った波が瞬時に凍りつくため 電線などはあっという間に直径10センチくらいになるそうです。それを棒で叩き割ります。
そんな厳寒の中でも、漁は半袖で行います。
「過酷なんてもんじゃあなかったよ」
 瞬間、厳冬の北の海を見晴るかすような遠い目になりました。でも、すぐに
「面白かったなー」
と顔がほころびます。
 学生8人に順番に「産地はどこだ?」と聞いて行きながら、K.Kさんご自身のそれぞれの場所に関する思い出を語ります。まるで地元の人みたいな詳しさと記憶力には舌を巻きます。
 奥さんの体調があまりよくないとのことでした。もう1人の管理人の方も入院されて、今はK.Kさんが毎日出勤とか、お疲れの出ませんように。
 
●気仙沼市 大谷海岸 ラーメン屋さん
 昼は、昨年10月に来たことのあるラーメン屋さんで頂きます。こちらのご主人のお嬢さんは19歳で津波の犠牲になられました。結婚を間近に控えてのことです。昨年以来ずっと再訪したいと思っていたお店でした。
お店は10名が入るともう満席状態。学生たちは思い思いのラーメンを注文しています。出汁の聞いたおいしいラーメンです。お勧めラーメンはイカや貝類も乗った豪華版。しかも麺はワカメの練り込んである特製麺です。おいしそう!
今日は奥さんはお弁当を売りに行っていて、店にはご主人と手伝いの女性の2名だけでした。ラーメンを食べた後、S.Tさんがご主人にいろいろ質問します。
「最近はお店はどうですか」「お弁当は売れてますか」「夜は眠れてますか」
昨年10月にも、客足が減ったことは書きましたが、やはり今も少ないそうです。土地代も払わなければならず、経営状態は相当苦しいのではと想像されます。また、お弁当も450円ですが、多品種を毎日メニューを変えて作らなければならず、容器代や配達なども入れると殆ど利益はないそうです。さらに、ご主人も奥さんも体調が悪く通院されていて、月々の医療費は5~6万円。
飲食業はとても体力の要る仕事です。朝も早くから買い出しや仕込があるでしょう。また食料品だから鮮度が大切なので、気を使いますし無駄も多いでしょう。
最近はようやく少し夜眠れるようになったけれど、ときどきは
「なんで(娘を)助けてやれなかったんだろう」
と思うこともあるそうです。
物静かなご主人の心痛は想像してもしきれません。ただ何とか頑張ってほしいと願うばかりです。
帰り際、かき氷をサービスしようとしてくださいました。前回もリンゴを一袋下さいましたね。学生たちが多いせいでしょうか。亡くなったお嬢さんと同年代くらいですものね。
また来ます!お体を大切になさってください!!

●気仙沼市 津波体験館

 昼食後は津波体験館に行きました。津波の体験の後は館内で説明を聞きながら展示物を見せて頂きました。迫力ある映像に、津波の恐ろしさが多少なりとも伝わったのではないでしょうか。

●気仙沼市 早馬神社
 最後は早馬神社さんです。梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんのお話を久々に拝聴しました。被災者の体験を直接伺うのは、新聞やテレビで見聞きするのとは全く違います。お二人のお話は何度拝聴しても、感銘を受けます。ありがとうございました。

 今回は大学生8名も同行しました。昨日は陸前高田市の仮設住宅で、4名の方たちと交流したそうです。仮設住宅の方たちも学生たちに心を開き、普段は見せないいいお顔だったそうです。別れ際には涙を流される方もいらっしゃったとか。
 やはり若い人の力って凄いですね!

今日もとてもいい1日でした。
早く、全ての被災者に安らぎが訪れますように。

S.Tさん、ありがとうございました。学生たちにかけがえのない学びの機会を提供して下さり、また細やかな心配りで学生たちの学びを促してくださいました。
学生の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2014年6月10日 (火)

気仙沼だより(25)

皆様
ひふみ先生が先月、気仙沼に慰霊に行かれた際の「気仙沼だより」をいただきましたので掲載させていただきます。
昨日も宮城県沖で震度4の地震が発生しています。
まだまだ、われわれの目覚めが不十分だという事なのでしょうか。

気仙沼の報告㉕(平成26511日)

●平成26511日 839分 気仙沼駅着。

4か月ぶりの気仙沼です。今年から奇数月だけにしたのですが、3月を休んだのでとても久し振り。大船渡線沿線の景色は、新緑が輝いています。

気仙沼駅前で岩手県県職員S.Tさんに再会。お互いに近況報告をしながら、階上(はしかみ)公民館へ。

●気仙沼市 階上公民館

 階上公民館で働いている元船乗りのK.Kさんに会いに行きます。K.Kさんにお会いするのは昨年11月以来です。公民館に9時過ぎに着いたら、もう畑仕事に精を出していらっしゃいました。この冬、雪かきで腰を痛められたそうで、ちょっと元気なさそう。お疲れもたまっているのでしょうか。

 公民館の職員室で2時間ほどおしゃべりしました。若い頃にはずいぶん人助けをされたそうです。海に釣りに出た中学生3人が沖で船を転覆させ溺れているのを救った話もお聞きしました。

人に陥れられたことも多々あったそうです。

全てをさらっと他人事のように話すK.Kさん。驕らず高ぶらず、小さいことにくよくよせず、生きることに淡々と向き合っていらっしゃる感じです。

そして何より感心するのは、ともかく気前がいいこと。そして全く見返りを求めません。公民館でのお仕事も、働いている時間から考えれば完全にボランティアです。公民館の庭の畑仕事もそうです。バレンタイン・デーにはとてもたくさんチョコレートをもらったそうです。そのお返しだけで10万円を超えたとか。律儀に一人一人にお返しをされたのでしょう。K.Kさんらしいです。 

昼はK.Kさんが冷凍さんまを出汁にしたお雑煮を作ってご馳走してくださいました。レンジを使ってあっと言う間に作れるおいしいお雑煮です。生臭いかと思いましたが、全然生臭くありません。

午後はK大学の方たちがいらっしゃるそうです。毎日K.Kさんを慕って、多くの方たちが訪れます。

K.Kさんは、まさに「金儲け」より「人儲け」の上手な方です。

私もK.Kさんの大ファンの一人ですよ。7月にまた来ますね! 

●気仙沼市 早馬神社

 今日11日は、東日本大震災の月命日です。早馬神社では世界的チェリストの溝口肇氏によるチェロ演奏を企画されていました。私もたまたまこの日に気仙沼に行く予定だったのですが、宮司様のご提案でチェロ演奏の後お話をさせて頂くことになりました。集まったのは、神社近くの仮設住宅にお住まいの方たちなどです。約1時間、「慰霊」についてお話をし、最後にS.Tさんの先達で「ひふみ祝詞」「天津祝詞」を奏上しました。S.Tさんの言霊は美しく、力強く、のびやかで、祓い清めの力が実感できます。 

被災された方たちの前でお話するのは大変緊張しました。

 復興とは、被災された方たちの全ての魂が、亡くなった方も、生きている方も、全ての魂が、癒され、元氣になることだと思っています。そのためには霊的次元での「死」の意味を、魂が、魂の底から納得することが大切だと思うのです。そのことを被災された方たちに、お伝えしたかったのです。

 聞いてくださった方たちは真剣に耳を傾けてくださいました。その表情に勇気づけられて、訥弁ではありますが、1時間のお話を終えることができました。

 こんな貴重な機会を与えてくださった梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんに感謝致します。また、私の緊張をほぐそうと気遣ってくださったS.Tさん、ありがとうございました。

●気仙沼市 

 早馬神社を辞して、近くの海岸で慰霊をさせて頂きました。慰霊のお話をした直後なので、慰霊の意味を自分自身かみしめながら、慰霊をさせて頂きました。

今日の1日はとても長く感じました。でもとてもいい1日でした。

S.Tさんありがとうございました。

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2014年3月 9日 (日)

気仙沼だより(24)

皆様
3月も半ばになろうとしていますが、あいかわらず寒暖の差が激しい気候が続いております。寒い割に花粉も(に加えてPM2.5も)多くなって、本当に体調管理には気を使いますね。
3・11が近づくにつれて、メディアでも震災特集がくりかえし放送、報道されています。ただ、普段の生活の中では早くも薄れつつあるあの震災ですが、筑波大学の研究室も耐震工事のための移転、仮住まいなどのお忙しい中、ひふみともこ先生は現在も毎月慰霊の訪問を続けられております。
本日は1月分の原稿をいただきましたので掲載させていただきます。

気仙沼の報告㉔(平成26112日)

●平成26112日 839分 気仙沼駅着。

 新年最初の気仙沼訪問です。ここ数日寒さが一段と厳しくなり心配していたのですが、思ったほどの寒さではありません。それでも一ノ関のホテルから一ノ関駅までの道では  うっすら積もった雪が凍っていて、慣れない者にはおっかなびっくりの足の進みです。

 大船渡線車窓からの景色は気仙沼に近づくにつれて雪が少なくなっていきます。海岸部は内陸部より暖かいことが目に見えてわかります。

 今回はボランティアなどの作業はなく、仮設住宅の訪問と慰霊のために来ました。寒がりの私には、厳寒での屋外のボランティア作業は自信がありません。

 気仙沼駅で待っていてくださる岩手県県職員のS.Tさんの車に乗って、陸前高田市の仮設住宅へ出発です。

●陸前高田市 高田高校仮設住宅

陸前高田市中心市街地が眼下に広がる高台の仮設住宅には148戸の住宅があり、市内でも最大規模です。こちらでは朝8時半から10時まで、集会所で朝カフェ「珈琲日和」が開かれ、その時間帯なら誰でも無料でコーヒーが飲めます。Sさんも初めてこちらを訪れた時、いきなり中から呼び止められてコーヒーを飲まされた(?)そうです。住民の方たちも 全体的に非常に仲が良いとのことでした。

 私たちは9時半ごろ到着しました。中では67名の方たちがコーヒーを飲みながらおしゃべりの真っ最中でした。Sさんはまだ2回目なのに、すっかり旧知の間柄のようです。 すぐに話の輪の中に入って盛り上がっています。私も方言が話せれば、もう少し皆さんと打ち解けられるんですが、標準語だとどうしてもすまして見えるというか、気取って見えるというか、他人行儀な感じになってしまいます。でも下手に方言を真似してしゃべって、方言をバカにしているみたいに思われても困るし…。

 10時になるとカフェも閉店です。三々五々それぞれの住宅に戻って行かれます。私たちは、Y.Sさんのお宅にお邪魔させて頂きます。Yさんは50代後半くらいの女性です。ご主人は神奈川県に働きに出ていらっしゃるとのことで、普段は一人住まいだそうです。

午後2時半ぐらいまで、いろいろなお話を聞かせて頂きました。

震災当日は、高台にある職場にいました。午後246分、それまでに経験したことのない揺れを感じたそうです。まず頭をよぎったのは小学生のお孫さんのことでした。その時間帯は小学校にいるはずです。高台から、平地にある小学校に走って向いましたが見つ かりません。自宅も捜しますが、いません。自宅を出て駅のほうを振り返ると、高さ4階建てくらいの真っ黒な津波が既に駅舎を飲み込んで迫ってきています。駅舎は自宅から   約300メートルの近さです。無我夢中で駅舎と反対の方角に走ります。高台の斜面にある竹藪を必死で駆け上がります。

駆け上がったところにあった小屋に逃げ込みました。そこには既に10名以上の方が避難してきています。

娘さん一家と連絡が取れないまま、不安と恐怖と寒さの中で一夜を明かしました。

翌日、娘さんたちはYさんを、Yさんは娘さんたちを、互いに捜し回った挙句、ようやく巡り合いました。その後しばらく、親戚宅での避難生活が始まります。

幸いご家族は全員無事でしたが、義兄夫婦がお亡くなりになったそうです。お写真を見せてくださいました。和服の似合う福々しい方です。Yさんの声が涙声で震えます。未だに褪せない悲しみが胸に蘇えるのでしょう。

仮設住宅に移ってからのお話も伺いました。

日本全国から多くのボランティアが訪れ、今でも訪れるそうです。いち早く訪れたのは神戸からの大学生たちでした。足湯とマッサージ・サービス、そして手芸教室を開いてくれました。「針も糸もない」とこぼしたら、男子学生の一人から、自分が子どもの時に家庭科で 使っていたと思われる裁縫箱が送られてきたそうです。

「あのときは泣けたねえ」。

Yさんの目が、またうるみます。

その他にも、毎月11日にはメールをくれる方、福岡から定期的に訪れて自動車代行   サービスをしてくれる方、などなど。

震災後の心を支え、生きる力となったのは、こうした多くの方たちとの出会いだと仰って いました。

被災された方の中には、被災しなかったら出会う筈のなかった方と出会えた、多くのことを学んだ、世界が広がった、という方も少なからずいらっしゃいます。もちろん、震災そのものは、多くの方々の命を奪い、生活を壊し、心を引き裂きます。ズタズタにします。

でも、そうした方たちの尊い学びは、被災を直接経験しない者にも多くのことを教えてくれます。

そう考えると、神様は、私たち人類全体の学びや成長のために、一部の方たちの犠牲を強いたのかとさえ思えてきます。

●気仙沼市 早馬神社

 一日の締めくくりは早馬神社さんに参拝です。

梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんに、お正月の時のお話などを伺いました。神社は年末・年始は最も忙しい時です。神職というのも大変なお仕事だなと思いながら お話を聞いたことです。

今年から気仙沼には隔月の奇数月に訪れて、現地でできるボランティアをしようと思っています。S.Tさんには今年もいろいろお世話になりますが、よろしくお願いいたします。

今日も1日、ありがとうございました。

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2013年11月25日 (月)

気仙沼だより(23)

皆様
11月23日(祝日・土曜日)には淡路島の伊弉諾神宮様での新嘗祭に引き続き、伊弉諾神宮宮司様とひふみともこ先生による記念講演会が行われました。新嘗祭では「淡路神楽」という4人の巫女様が舞われる荘厳なお神楽が奉納され、紀念講演会には50名もの方々がご参加いただけました。
遠路ご参加くださいました大勢の皆様、本当にありがとうございました。

それでは、昨日お約束をいたしました、ひふみともこ先生の「気仙沼だより」11月4日版を掲載させていただきます。

気仙沼の報告㉓ (平成25年11月4日)

●平成25年11月4日 8時 気仙沼発。
 今日は大船渡市に向かいます。

●大船渡市 三陸町
 9時少し前に三陸町の高台にある仮設住宅へ。今回で3回目の訪問となります。三陸地区サポートセンター「さんそん」所長の千田富士夫氏にお世話になります。
 9時15分からのラジオ体操の後、千田所長のお計らいにより、仮設に隣接するサポートセンター応接室で、仮設の方たちのお茶飲み会に参加させて頂きます。男性3名、女性4名が参加していらっしゃいました。60代後半から80代までの方たちです。
 家やお店、民宿を流された方たちのお話を聞くのは胸が痛みます。
どの方も本当に純朴で、優しいお顔です。戦後の厳しい時代を、一生懸命、正直に、真面目に、生きてこられたことがひしひしと感じられます。
今、狭い仮設に住みながら、愚痴もこぼさず、持ち前の忍耐強さで、先の見えない復興  までの道のりを越えていかれようとしていらっしゃるのです。

●大船渡市 三陸沿岸
 午後は2か所で慰霊をさせて頂きました。静かな海に、雲間からぼんやりと漏れてくる 太陽が鈍く光ります。ウミネコが鳴いています。神様の光が、皆様に届き、導いてくださいますように。

●大船渡市 大船渡市津波伝承館

 14時半、銘菓「かもめの玉子」のさいとう製菓工場敷地内にある、津波伝承館を訪問   しました。館長齋藤賢治さんが津波のときに撮影されたビデオを見せて頂き、当時の様子や避難の状況をお話ししてくださいました。津波が来たらともかく逃げること。そのことを  何回も仰っていました。
 同じような被害が二度と起きてほしくないという社長の痛切な願いが胸の奥まで伝わってきます。
 多くの人に聞いて頂きたいお話でした。
 震災後2年半がたち、被災地以外ではすっかり震災のこともその後の被災地の現状も  夢物語になりつつあります。
 こうして人間は同じ過ちを繰り返すのでしょうか。

一向に復興の進まない東北の被災地。
昨年10月から毎月訪れて1年と2か月。
何もできないまま、月日が過ぎてしまった感じです。

今回も2日間、いろいろな方との再会や新しい方との出会いがありました。
S.Tさん、M.Kさん、ありがとうございました。

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2013年11月24日 (日)

気仙沼だより㉒

皆様
秋がほとんどなく、いきなり冬の天気になったのですが、昨日、今日は比較的穏やかなお天気でした。巷では、風邪がはやりつつあるようですが、皆様お変わりございませんでしょうか?
ひふみともこ先生より今月の「気仙沼だより」をいただきましたので、2日間に分けて掲載させていただきます。
ひふみ先生は東京の会の終了後東北へ、その後は中国の大連へ、そして昨日は淡路島へと八面六臂のご活躍です。
ひふみ先生もお疲れの出ませんように、お祈りいたしております。

気仙沼の報告㉒ (平成25年11月3日)

●平成25年11月3日 8時39分 気仙沼着。
  大船渡線からの景色は晩秋の景色です。今回特に目につくのは柿の実です。こうして見ていると、柿の木にもいろいろなものがあります。葉っぱが落ちて柿の実だけが鮮やかに輝いているものもあれば、柿の葉といっしょにたわわに実っているものもあります。
  今回は、神奈川県からM.Kさんがご一緒です。M.Kさんは2回目の参加です。
  浜でのボランティアを予定していたのですが、工場がお休みとのことで中止です。
  素人が2~3人で行っても大して役には立たないし、素人でもできる簡単な作業を準備するのは、かえって手間がかかるだけなのかもしれません。
  岩手県県職員のS.Tさんが急遽 2日間の計画を練り直してくださいました。
  午前中は陸前高田市の様子を見てから、O.Fさんのところにお邪魔し、午後は階上公民館の元船乗りKさんのところに遊びに行きます。

●陸前高田市
 陸前高田市市内はだいぶ嵩上げも進んでいます。反面、嵩上げに使うための土を確保するために、近くの山が切り崩されています。この広い市内全体を嵩上げするには、相当の量の土が必要でしょう。山を切り崩すことで環境への影響はないのか気になります。
 市内では、キャピタルホテル1000というホテルが11月1日ようやく営業を再開したそうです。高台に建つキャピタルホテル1000は、復興の象徴として、地元の方たちに勇気と希望を与えているそうです。私たちもキャピタルホテル1000の建つ高台に上ってみました。ホテルでは地元の学校卒業生の還暦を祝う同窓会が催されているようでした。
  高台からは市内の様子がよく見渡せます。一面広大な原っぱが広がっています。高台のすぐ下では、ゲートボールをやっている方たちや、家庭菜園を耕している方たちが見えました。
 復興というには程遠いけれど、でもゆっくりと、人々の生活が戻り始めている兆しが見て取れました。

市内の海岸で慰霊をさせて頂いた後、O.Fさんの仮設にお邪魔しました。今回で4回目です。O.Fさんは相変わらず精力的にボランティアたちを受け入れながら、愛情を以て若い人たちに接しておられます。震災直後からずっと関わっている大学生のボランティア・グループの中には、リーダーが卒業しても活動を継続しているグループもあるそうです。

●気仙沼市 階上公民館
 午後は元船乗りKさんのところに遊びに行きました。Kさんの船乗り時代のお話や、若いころのお話を聞いて、あっという間に時間が過ぎます。途中、Kさんのご近所の方が立ち寄られ、Kさんが栽培・収穫した食用菊を持って帰られました。
 地元の方たちも徐々に日常生活を取り戻しつつあるのが感じられました。

●気仙沼市 早馬神社
 日もだいぶ傾き始めたころ早馬神社さんへ。梶原壮市禰宜さんは体調がよくないとのことで、梶原忠利宮司さんとおしゃべり。禰宜さんは明後日5日から伊勢神宮にお神楽の御奉納に出発されるとのこと。日頃のお疲れが出てしまわれたのでしょうか。無事に御奉納されますように。 

●気仙沼市 仮設商店街
 夕飯は仮設商店街の復興屋台村へ。2軒のお店で食事したり、ビールを飲んだりしました。ちょうど、プロ野球では楽天が優勝を決めたところ。
 楽天の優勝もまた、東北の方たちに勇気と希望と感動を与えてくれたことでしょう。

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2013年11月 2日 (土)

気仙沼だより(21)

皆様
ひふみともこ先生から、10月の「気仙沼だより」をいただきましたので掲載させていただきます。

本日の東京の「ひふみのつどい」の後も、ひふみ先生は東北地方に向けて旅立たれています。それでなくてもお忙しい週末を、慰霊のために1年以上も被災地のご訪問を続けておられる先生に御礼を申し上げますとともに、いまだに何もできない自分を本当に情けなく思います。

本日は2日分をいっぺんにアップしますので、長文ご容赦ください。

気仙沼の報告㉑ (平成25年10月20日)

●平成25年10月20日 8時39分 気仙沼着。
一ノ関から気仙沼までの1時間半。車窓からの景色は秋の深まりを告げています。田んぼの9割は稲刈りが終わり、サルビアは小雨に打たれて萎れ、代わりに黄色や赤紫の小菊が、駅の花壇や農家の庭を飾っています。野原では、女郎花(おみなえし)の黄色い花が今を盛りと 群れを成して咲いています。

今回は浜でのボランティアを予定していたのですが、前日夜9時近く、工場を休むとの連絡が入りました。
16日の台風で、牡蠣や帆立が大きな被害を受けたのです。
先月のボランティアで、種牡蠣の付いた帆立の殻をロープの合わせ目にねじ込んでいく作業をしました。その帆立の殻が、荒れ狂う潮の流れに揉まれて、3分の1近くが海の底に落ちてしまったそうです。
また、貝毒で出荷を見合わせていたために育ち過ぎた帆立貝も、重くなりすぎていたことで被害が大きくなったそうです。
出荷を目前にしての大打撃でした。
養殖業に携わっていらっしゃる皆様のお気持ちは、想像だにできません。
ただただ、祈るばかりです。

小雨模様の空の下、岩手県県職員S.Tさんの車で、南三陸町に向かいました。

◎南三陸町 

 南三陸町は、気仙沼から車で1時間くらい。人口約18000人の5%即ち900人近くの方が死亡・行方不明となり、中心市街地の家屋95%が流された町です。瓦礫は片づけられたものの、家の土台はそのままで、夏の間に伸びた雑草が生い茂っています。
 南三陸町での慰霊は3回目です。

◎南三陸町 防災対策庁舎

「津波が来ます。高台に避難して下さい」
繰り返し呼びかけ続けて亡くなった遠藤未希さんのいらした防災対策庁舎は、取り壊すことに決まったそうです。赤い鉄骨の3階建て建物に、大勢の方が慰霊に訪れていました。
関西から観光バスで来ていた一団(約30名くらい)が、慰霊所の前で記念写真を撮ろうとしていました。地元の男性が、それを制止します。
「地元の者だけど、記念写真は止めてください」
一団の観光バスの前には「M市人権擁護団体」と書いてありましたが、無神経にもほどがある行為ではないでしょうか。
花束をお供えし、黙祷させて頂きました。

◎南三陸町 慈恵園
高台にあった老人ホーム、慈恵園。ここでは、利用者67名のうち46名が亡くなられました。今では建物は完全に撤去されて、献花台だけが置かれています。お掃除したばかりなのでしょうか。花束は1つしかありませんでした。献花してから、「慰霊」「慰霊の言霊」を音読しました。

◎南三陸町から気仙沼市へ
 南三陸町から気仙沼市へ向かう途中、海辺の3か所(南三陸町志津川湾、南三陸町伊里前湾、気仙沼市小泉海岸です)で慰霊をさせて頂きました。
 最後の場所(気仙沼市小泉海岸)は 外海に面していて、波が荒く、冷たい風も吹きつけます。
震災当日、暗い沖合から、冷たい津波の壁が押し寄せて、道路も 線路も 橋脚も 全てを押し流し、家々や車を飲み込み、人々を海にさらっていったのでした。
波と風の音を聞きながら、慰霊をさせて頂きました。
海の底で未だに眠る多くの御魂に神様の光が当たり、天界に導かれていく様子を思い描きます。S.Tさんの読経と真言の間、1人、2人、3人、、、。お名前はわからないけれど、御魂を数えていきました。

◎気仙沼市 大谷(おおや)海岸 ラーメン屋さん

 大谷海岸は、震災前は、市内で一番海水浴客で賑わった海岸です。
 仙台と気仙沼を結んで海岸線を走っていた気仙沼線は、津波で流されて、不通のままです。今は、気仙沼線大谷海岸駅の跡地に物産店などが数軒あります。
その近くのラーメン屋さんに入りました。醤油ラーメンは 私の大好きな味でした。
ラーメンを頂きながら、ご主人や奥さんといろいろお話をしました。
震災前は 海の家でラーメン屋さんをやっていたこと、
震災後の平成23年10月23日に仮設のラーメン屋さんを開店したこと、
しばらくはボランティアの人たちで繁盛したが、今はかなり客足が落ちていること、
工事現場の人たちのためのお弁当も作っているけれど、コンビニ弁当との競争のために400円に価格を抑えざるを得ず、赤字であること、、、。
ご主人も奥さんも気さくで、何でも語ってくださいます。

壁に下げられたコルクの板に、ここを訪れた人たちの名刺が たくさんピンで貼られています。
その中に、新聞の切り抜きがありました。震災で19歳の娘さんを亡くされた母親の記事でした。娘さんは、お嫁入りの直前だったそうです。
母親の横顔のお写真が、奥さんに似ています。
お尋ねすると、奥さんその人でした。
何も言えなくなってしまいました。

お勘定を済ませて、ほんの僅かですが、募金箱(ビン)にお金を寄付させて頂きました。
「頑張ってくださいね。おいしかったです」
それだけ言うのが やっとでした。
店を出ようとすると、ご主人が、売り物のリンゴの袋詰め(10個くらい入って500円です)を持たせて下さいました。
すみません!
ありがとうございます!
必ず、必ず また来ますね!! 

◎気仙沼市 階上(はしかみ)公民館 元船乗りのKさん
 午後1時半、階上公民館で守衛をされている、元船乗りKさん(77,8歳)のところに、遊びに行きました。
 台風の時は、夜中の2時に公民館の屋根に上り、ブルーシートをかけ、雨漏り対策のために2階の部屋に樽を置いたりしたとのこと。
 Kさんが公民館の守衛さんになられた時、事務室の床は真っ黒だったそうです。その床を、Kさんが、事務職員の出勤前に、段ボールを床に敷いて膝をつき、毎日少しずつ磨いて今のように真っ白にされたとか。
 調理室も、ガス回りなどはとても汚かったのを、人のいないときに掃除して きれいになさったのだそうです
 「船乗りはきれい好きなんだよ。汚いと、船の上では病気になっちゃうからね」
備品の包丁も全部研(と)がれたとか。
「包丁は手で研ぐんじゃないよ。腰で研ぐんだ」
家電製品(冷蔵庫、扇風機など)は愚か、自動車までもご自分で修理なさるそうです。船に乗っていると何でもできないとだめなんですね。通信技術だけでなく、電気製品や車の修理、調理、掃除、整理整頓・・・。
ともかく Kさんは働き者。
公民館の庭で 1人で畑作りをされています。できた作物は、ご自分のは1つだけ取って、後は皆、職員や近所の人たちに配ってしまうそうです。
近いうちに、幼稚園の園児たちが芋掘りに来るそうです。昨年は、園児たちが、ボール紙に金の折り紙を貼って作った「金メダル」を「Kさん、ありがとう」と言って首にかけてくれたそうです。Kさんの顔がほころびます。
Kさんのお話はいつでも楽しく、また学ばされることの多いお話です。
「働く」=「傍(はた)を楽(らく)にすること」
この言葉がまさにぴったりです。
2時間くらいおしゃべりをしました。
途中、ボランティアの人が、Kさんにお寿司などを届けに来ました。
結局、それらも「持って行け」と私たちに下さいました。
人気者のKさん。来月も遊びに来ますね。

◎早馬神社
 午後4時ごろ、早馬神社さんへ。梶原忠利宮司さんと息子の梶原壮市禰宜さんが迎えてくださいます。
 10月17日19時30分から、BSで放映された「きらり!えんたび 天童よしみ 宮城・気仙沼市へ」に宮司さんが出演されました。そのときの天童よしみさんとの裏話に、S.Tさんも私も大笑いをしてしまいました。
宮司さんは本当にお茶目です。
隣で禰宜さんが渋い顔で聞いていらっしゃいます。禰宜さんは宮司さんが脱線し過ぎないように監視役。ときにそっとたしなめられる場面も・・・。
お二人のお性格が対照的で、それがまたいい味を出していて、とても素敵です。
でも、台風の被害のことに話が及ぶと、宮司さんのお顔もたちまち曇ります。
お二人とも、とても心を痛めていらっしゃるのが伝わってきます。
 どんなに楽しい話をして笑っていらしても、その後に見せられる憂い顔。
 心の底から晴れやかな笑顔になられるのは、いつなのでしょうか。

 午後5時。すっかり日が短くなって、外は真っ暗です。
 雨も強くなってきました。

 初めて気仙沼を訪れてから丸1年。
2年目の始まりである今回の気仙沼。2年目はさらに進化させていきたく思います。
 
 今回も考えさせられる1日でした。
 S.Tさん、ありがとうございました。

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2013年10月19日 (土)

気仙沼だより⑳

皆様
「猛烈な」(920hpa!)台風27号のせいでしょうか、また伊豆大島に避難勧告が出されました。これ以上の被害がありませんように。犠牲者が出ませんように祈ることだけしかできません・・・・・

さて、一日空いてしまいましたが、ひふみともこ先生よりいただきました9月の気仙沼だより、2日目を掲載させていただきます。
なかに「がんづき」というお菓子が出てくるのですが、聞いたことがなかったので調べてみますと東北地方の郷土料理(郷土菓子?)だそうです。
これが「がんづき」です。↓
http://www.pref.iwate.jp/~hp5001/hokenfukushi/site1/resipi/ganduki.html

前振りが長くなってしまいましたが、それでは気仙沼だよりをどうぞ。

気仙沼の報告⑳ (平成25年9月23日)

●平成25年9月23日 8時過ぎ 気仙沼発
今日は大船渡市、釜石市を回ります。8時にホテルに迎えに来てくれたS.Tさんの車に乗って出発です。

◎大船渡市三陸町 仮設住宅

 9時少し前に、仮設住宅に到着。9時15分からのラジオ体操に参加します。参加者は住民20名弱でしょうか。ラジオ体操第2は皆さんの動きを真似てついていきます。
 終わってから、M.Kさんのお宅へ。M.Kさんは7月にもお邪魔させて頂きました。85歳ですがとても若々しく素敵な方で、またお会いしたいと思っていた方です。
 今朝は5時ごろに起きられて、「がんづき」というお菓子を焼いてくださっていました。仮設では周りに音が聞こえないよう、常に気を遣われるそうです。M.Kさんも3時ごろには目が覚めていたけれど、起きると音がするので遠慮されて5時まで横になっていらしたとのこと。
 1人住まいの人の仮設住宅は4畳半一間に台所とバス・トイレがついただけの、とても狭いものです。寝ても覚めても同じ部屋で、しかも狭いのだから、息が詰まるような生活なのではないでしょうか。そのうえ、ご近所に音で迷惑をかけないようにと常に気を遣う生活。それが2年半以上も続いているのだから、住民の方たちも本当に限界に近いと思います。最近は仮設を出て行かれる方も増えたので、空室になった広いところへの引っ越しが流行っているそうです。
M.Kさんも初めは息子さんと、引っ越すための家や土地を探して歩かれたそうです。でも、いろいろ条件が合わずに諦められたとのこと。
高台移転は早くても3年後くらいだそうです。住民の多くはかなりのご高齢です。仮に移転ができたとしても、見知らぬ土地で、近所は見知らぬ人ばかりのところに引っ越すより、今のまま仮設にいたほうがいいと考えていらっしゃる方も多いそうです。
皆さん毎日、お友達のところで半日くらいおしゃべりなどをして過ごされるそうです。この仮設はもともと同じ地域の住民だった方たちが住んでいるので、皆さん顔見知り。だから安心感・親近感があるのでしょう。仮設を出られても、こちらの生活のほうがよかったと戻りたがっていらっしゃる方もおられるそうです。
M.Kさんとおしゃべりしながら、窓に目を向けてみました。
部屋の窓からは、レースのカーテン越しに向かいの仮設の窓が見えます。さらに見上げると、空が僅かに見えました。
この僅かな空を見上げて過ごす一日の 孤独感、寂寥感、空虚感。
埋めることのできない心の穴に、過去も 未来も 現在も、全てが吸い込まれていくような ことばにならない漠とした不安を想像せずにいられません。
 
 震災後の生活に、「終わり」というものはあるのでしょうか。
あるとしたら、それはいつ、どのような形で、訪れるものなのでしょうか。

◎釜石市 仮設のラーメン屋さん
 お昼は釜石駅近くの仮設のラーメン屋さん「釜石ラーメン こんとき」さんへ。
明るく陽気なご主人でした。
 仮設商店街のお店はどこも、ご主人や働いていらっしゃる方々皆さん、本当に明るく気さくで楽しそうに一生懸命働いていらっしゃいます。こちらのほうが逆に励まされているようです。
 ラーメンもおいしかったです!ご馳走様でした。
 
◎釜石市 鵜住居(うのすまい)地区防災センター

 14時過ぎ、鵜住居(うのすまい)地区防災センターに到着しました。海からは2~300メートルくらい奥になるでしょうか。そう遠くはないところにあります。
震災当時、2階建ての防災センターに逃げ込んだのは200人以上。そして助かったのは30人前後。大勢の方が津波の犠牲になられました。
 このセンターは、震災遺構としては珍しく、中に立ち入ることができます。天井、壁、窓、床。あらゆるところに津波の爪跡が残っています。天井や壁は、中の鉄骨がむき出しになり、窓ガラスは全て割れています。
 この防災センターも取り壊しが決まっているそうです。建物内の慰霊場所の壁に、ご遺族の思いを綴った(つづった)紙が貼ってありました。それは、遺構を取り壊さないでほしいという切なる訴えでした。

 震災を思い出すから早く取り壊してほしいというご遺族もいらっしゃることでしょう。しかし、一方で、残してほしいと願うご遺族もいらっしゃると思います。
仮に私が遺族であったなら、愛する人が最期を遂げたその場所で、今は亡き愛する人の最期の時に思いを馳せ(はせ)、その御魂に語りかけたいと思うでしょう。そこは、愛する人が「最期」を迎えた神聖な場所であり、愛する人の「最期の時」を共にできる尊い場所だと思うのです。
遺構がなくなってしまったら、愛する人と自分とをつなぐ縁(よすが)さえも永久に失われてしまう。そんなご遺族のお気持ちを想うと、やるせなく、いたたまれなくなってきます。
また、この遺構を残すことで、地震・津波の威力や凄まじさを、後世の人に生々しく伝えることができます。写真や映像だけでは、震災の恐ろしさは絶対に伝えられません。もっと長期的な視点から、遺構の持つ意味を考えていくことが重要なのではないでしょうか。

◎釜石市 大槌町役場
 大槌町も、小さいながらも震災の被害の大きかった町です。2階建ての建物が残されています。3分の1の職員の方が亡くなりました。
震災後、他府県からも大勢の職員さんが応援に駆け付けて来られたそうです。それでも復興までの道のりはまだまだ厳しい状況です。
 大槌町町役場の近くで慰霊をさせて頂きました。

大槌町を後にして、遠野を通り、花巻経由で一ノ関に向かいます。
のどかな夕日が空を優しく染め、地上の田畑や野原は徐々に陰影を深めていきます。

今回もいろいろな出会いと再会がありました。
被災したことに負けないで、今を一生懸命に生きていらっしゃる方たち。
そうした方たちに、改めて感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。
2日間の予定を綿密に調整してくださったS.Tさん、ありがとうございました。

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2013年10月17日 (木)

気仙沼だより⑲

皆様
季節はずれ、とまでは言えないものの、大型の台風26号のために、伊豆大島を中心に大きな被害が発生しました。お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災地の皆様にこころよりお見舞い申し上げます。
また、台風27号も発生し、26号と同じような進路をたどるという予報もあり、本当に心配です。

さて、9月もひふみ先生は東北地方へ慰霊に赴かれました。そのお便りをいただきましたので2日間に分けて掲載させていただきます。
まずはピンクの長靴をはいたひふみ先生の奮闘ぶりからです。

気仙沼の報告⑲ (平成25年9月22日)

●平成25年9月22日 8時39分 気仙沼着。
一ノ関と気仙沼を結ぶ大船渡線の車窓は、四季の移り変わりを如実に感じさせてくれます。朝日を受けて黄金色に輝く稲穂、稲木に干されている稲、ススキ、コスモス、トンボの群れ・・・。その一方で色鮮やかな朝顔やサルビアなども車窓を飛び過ぎていきます。車中で過ごす1時間半は、自然に癒されるひと時です。
今回は、浜でのボランティアや、今までお邪魔した方たちとの再会を盛り込んでいます。いつもどおり、岩手県県職員S.Tさんの車で出発です。

◎気仙沼市 畠山正則氏の養殖場でのボランティア
9時半、唐桑の養殖場に到着。気仙沼市唐桑地区復興支援共同体の代表 畠山正則氏のところは2回目ですが、畠山正則氏本人にお会いするのは初めてです。
着いた早々、私の足元を見て、
「靴、それしかないの?」
「はあ」
「ちょっとここで待ってて」。
苦々しげに顔をしかめつつ、ピンク色のかわいい長靴を持ってきてくださいました。
私の履いていったのは、ヒール3センチくらいのサンダルで、濡れてもいいような物だったのですが、確かに浜でのボランティアをする履物ではありませんね・・・。服装も、上は紺と白のボーダー柄のサマーセーター、下はオレンジのサブリナパンツ。どう見ても、町に遊びに行くような軽装です。畠山さんが呆れたような目で見るのも無理はありません。心の中で 反省!
それはさておき、今日の作業は、牡蠣の種付け(?)です。救命胴着を着けて、小さな漁船で筏まで移動。畠山さんが筏から帆立貝の殻がビッシリついた60センチくらいの房を次々6本くらい引き揚げるのを、好奇心いっぱいで見守ります。帆立貝の殻には種牡蠣と、海鞘(ホヤ)の一種という半透明の寒天みたいなぶよぶよした生物がたくさんくっついています。この海鞘は種牡蠣にとって天敵なのだとか。
引き上げ終わると、船はまた岸に戻ります。私たちが着いていく意味は全くなかったのですが、畠山さんのサービス精神で、我々を漁船に乗せてくださったのでしょう。
漁船で引き揚げた帆立貝の房を陸に上げて(陸に上げるときも、ただぼーっと見ているだけでしたが)、作業の説明を受けました。ビニール製のロープの網目を緩めて隙間を作り、そこに種牡蠣の付いた帆立貝の殻を挟み込むという作業です。それをロープの先端から終わりまで、30センチおきぐらいに続けます。
軍手を付けていても、帆立貝の殻の砕けたかけらが刺さって、結構痛いです。前回より難しい作業です。種牡蠣の付いた帆立貝の殻がロープから滑り落ちないか気がかりです。
途中の休憩を挟んで、ロープに4,5本分くらいはできたでしょうか。本当に微々たるお手伝いしかできていません。筏にはまだたくさん竿が渡してあり、その竿に種牡蠣の房がまだまだたくさんぶら下がっています。私たちができたのは、1本の竿から引き揚げた6房くらいの、さらのその一部・・・。
養殖業って全て手作業なんだ~と改めて実感。1年中、仕事が絶えることはないそうです。暑い時も寒い時も。厳寒の浜で、立ちっぱなしの仕事を毎日する辛さは想像すらできません。
帆立貝出荷時期には深夜1時に起きて明け方の出荷に間に合うように準備をするそうです。聞いただけでも辛そうで、言葉が出ません。
おまけに今年の夏は貝毒が発生して出荷を自粛している最中だそうです。まさに泣き面に蜂。貝毒は帆立のワタに溜まるから、ワタを食べなければ全く問題ないのです。でも一度そういう噂が立てば、消費者は過剰に反応します。3週連続で検査をパスすれば出荷できるのですが、畠山さんは念には念を入れて4回検査を受けるそうです。でも、その間にも牡蠣はどんどん成長して、一番出荷しやすいMサイズではなく、Lサイズ、LLサイズに成長してしまいます。今すぐにでも出荷したい逸る(はやる)思いを抑える日々。漁師さんには幾つもの困難があるんですね。素人には全く想像できない苦難です。

12時半ごろまで作業をしましたが、引き上げた帆立貝の房は半分以上残っています。
私たちの作業がどれくらい役に立ったのか・・・。
こんなことでは単なる「社会見学」です。
もっと大勢でボランティアに来られるといいのに。そうすれば人海戦術で少しはお役にたてるのに。

◎気仙沼市 船乗りのKさん

昼食後、8月に階上(はしかみ)公民館でお会いした船乗りのKさんに会いに行きます。気楽におしゃべりできればいいなと思って事務室に立ち寄りました。Kさんはわざわざ炊き込みご飯のおむすびを2つ、作って来てくださっていました。ご自分で炊いて握ってくださったとか。
味付けもよくておいしかったです。ご馳走様でした。
Kさんは、公民館の裏で畑を作っているそうです。体を動かすのが大好きなんですね。根っからの働き者なんだなー。80歳近いのに、身ごなしの軽いこと。
船に乗って航海していた時のお話など、話題が尽きることはありません。辛い体験もたくさんされたはずなのに、まるで他人事みたいにケロッと話されます。
結局2時間くらいお邪魔しちゃいました。帰りがけには、「持って行け」とお菓子などをたくさん持たせてくださいました。ただお話を聞きに行っただけなのに、かえって気を遣わせてしまったかな。ありがとうございました。

◎気仙沼市 早馬神社
 夕方、早馬神社さんに参拝します。宮司さんはお留守でした。禰宜さんとお話をします。さすがに夕方は涼しくて、秋の深まりを感じさせられたことでした。

◎気仙沼市 仮設商店街
 夕飯は仮設商店街の「一福」さんへ。おしゃべり好きのご主人が迎えてくださいました。
仮設商店街開店までの苦労話などを、冗談を交えて楽しく話されるので、ついつい笑って聞いてしまいます。
働いていることが元気の源だと仰っていました。
旬の鰹の煮物や海老の塩焼きなどをおいしく頂きました。
また来ますね。あまりお酒を飲み過ぎないで、お元気で。

気仙沼駅前のホテルには夜9時ごろ帰りました。お疲れ様でした。

9月22日分のダウンロードはこちらから ↓

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2013年8月20日 (火)

気仙沼だより⑱

皆様
今月、ひふみともこ先生が気仙沼に慰霊に行かれた時の「気仙沼だより」をいただきましたのでアップさせていただきます。
ひふみ先生は今月もお暑い中、「まずは個人でできる慰霊を」というご意図の下、東北地方のご訪問を続けられています。ひふみのつどいのご参加者の方々にも東北地方のボランティアに行って下さる方もおられます。本当にありがたいことです。
文中に出てまいりますいくつかの施設などのホームページがありましたので、ご紹介させていただきます。
○早馬神社
 http://hayama.jinja.jp/
○リアス・アーク美術館
 http://www.riasark.com/

それでは、8月11日分をどうぞ。

気仙沼の報告⑱ (平成25811) 

 

●平成25811日 839分 気仙沼着。

 

一ノ関から気仙沼までの車窓には、緑の田畑や夏の色鮮やかな草花、勢いよく生い茂った雑草などが見えています。ここ数日の大雨で川は泥水で増水していましたが、気仙沼はいい天気です。暑いというより湿度が高くてムシムシしています。

 

今回はM.Kさんが川崎から参加してくださいました。

 

いつもどおり、岩手県県職員S.Tさんの車で出発です。

 

◎気仙沼市 階上(はしかみ)公民館

 

 今月はK.Sさんのご都合が悪く、水墨画教室はお休み。その代わりに写経教室を開きます。講師はS.Tさんです。S.Tさんは毎夏9日間、出羽三山で修験道の修行をされていて、今年で7回目になるそうです。慰霊の時に奏上される祓詞(はらえことば)や般若心経、真言は力強く、その場を清め、御霊を慰めるかのように響き渡ります。修行されている方でないと出せない言霊です。

 

 会場の公民館について、早速机の配置などを始めます。今日の参加者は15名くらいとのことで、教室型に並べて行きます。

 

 10時に開始。S.Tさんが20分くらい、般若心経の意味等を講義され、それから写経の開始です。約1時間、皆さん、黙って真剣に書いていらっしゃいます。 

 

今日11日は震災から25か月めの月命日。東日本大震災で犠牲になられた方たちへの思いと、これからの復興への祈りを込めていらっしゃるのでしょうか。

 

書き終わった後の皆さんのお顔は清々しく(すがすがしく)、とても充実していらっしゃるようにお見受けしました。

 

◎気仙沼市 船乗りのKさん

 

教室の後、階上公民館で管理人をされているKさんと、1時間くらい事務所でおしゃべりをしました。Kさんは80歳ですが、とても陽気でおしゃべり好きです。

 

戦災孤児で、東京に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出られました。進学を希望していましたが、片親であることを理由に入学許可が下りなかったのだそうです。

 

東京では、靴磨きや看板描き、水産加工工場で働いたりしました。靴磨きをしていて顎を蹴られたこともあるそうです。

 

「東京のこと、詳しいよ」

 

どこそこのガード下が、とか、あの通りには、とか、細々したことをよく御存じです。

 

その後、遠洋漁業の船乗りになって世界中を回られました。

 

「北朝鮮以外にはみんな行ったな」

 

遠洋漁業での航海は、帰るまでに2年以上のことも。生まれたばかりの娘さんを残して出航し、帰ってきた時にはもう2歳。

 

「でも、ちゃんと俺のことわかんのね。追っかけてきたよ」

 

船の進路は、星の動き、太陽の位置、そして、サイン、コサイン、タンジェントなどの関数を使って計算するそうです。笑いながら、

 

「船乗りは、馬鹿じゃできないよ」

 

本当にそうですね! 

 

お子さんは3人いらっしゃり、お孫さんもおられるそうです。

 

震災の時は車で隣の南三陸町から気仙沼に帰る途中でした。バックミラーで、後ろに迫る津波を見ながら、また、後続の車が橋もろとも落ちていくのを見ながら、無我夢中で車を走らせたと言います。まさに危機一髪です。

 

「家に着いたときは 膝がガクガクしたよ」

 

幸い、ご自宅の損壊もありませんでした。ご近所の方たちのために、庭に幾つも穴を掘って板を渡し、屋根をつけて臨時のトイレを作り、解放されたそうです。

 

「今の若い人たちは感謝の気持ちがないね」

 

と苦言も。

 

阪神淡路大震災の時には、ご自分の船で救援物資を運び、配られたと言います。

 

「そのお蔭で(今回の震災で)助かったんだかな」

 

Kさんの波乱万丈の人生経験を聞いていると、あっと言う間に時間が経ってしまいます。

 

「また俺のいるときに来いよ」

 

は~い、是非また寄らせて頂きますね。楽しいひと時でした。

 

普通の人よりも遥かに苦労の多い人生だった筈です。なのに、こんなに明るく強く優しいKさん。学ぶことの多い時間でした。

 

Kさんが手すさびに書いた詩を頂きました。航海時代、故郷を想う気持ちがさらりと歌われています。いかにも海の男っていう感じです。

 

 

 

波また波 雲また雲よ

 

果てしなく広がる大海原に

 

燃える希望と憧れに

 

微笑む人を抱きつつ

 

波路はるかになつかしの

 

故国に急ぐ舩足(ふなあし)が 

 

そぞろ心にもどかしや

 

 

 

夜の屋台の酔いどれ仲間

 

なやみあるなら語ろじゃないか

 

俺も故郷をはなれて三年(みとせ)

 

リアス恋しや瞼(まぶた)に浮かぶ

 

墨絵ぼかしの岩井崎

 

 

 

◎気仙沼市 リアス・アーク美術館

 

 昼食後、震災の遺品や写真などを展示しているリアス・アーク美術館へ。写真、被災した家具や生活用品、歴史資料などが展示されています。被災物(携帯電話や炊飯器など)に添えられた被災者のことばから、ふりしぼるような心の声が聞こえてくるようです。

 

震災からまだ25か月。なくされた家族・家・故郷・思い出・夢…。心の傷はまだまだ生々しく胸の中に疼(うず)いているのです。

 

 

 

◎気仙沼市 早馬神社

 

 1日の締めくくりは早馬神社さんです。

 

今日同行されたM.Kさんは、宮司さんたちのお話をお聞きするのを、とても楽しみにされていました。

 

 前日は34度と、気仙沼ではめったにない暑さだったそうで、宮司さんたちは少しお疲れのご様子でした。

 

参拝後、神社の境内に蜩(ひぐらし)の声が降り注ぎます。

 

海のほうから、傾きかけた太陽の光が木々の間を漏れてきます。

 

東北の夏は、もう終わりかけているのでしょうか。やっぱり東北って 夏が短いんですね。

 

 

 

車は一路、一ノ関へ。

 

 

 

来るたびに、新しい方との出会いがあります。

 

そのたびに、いつかまた再会したいと思ってしまいます。

 

細くても、永く、いつまでも、縁がつながっていますように。

 

そんな想いを気仙沼に残し、いく夏の夕暮れに別れを告げました。

 

 

 

今日も1日、S.Tさん、K.Mさん、ありがとうございました。

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