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2018年4月 4日 (水)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

新年度が始まり、電車に乗ってもこの人は新人だな、という初々しい方々を見受けるようになりました。桜はもう、散り初めですが、本当に春らしくて、花粉以外はいい気候だと感じます。

さて、本日も先月の大阪ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約を掲載させていただきます。

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謙虚というのと謙遜は似ているようですが異なります。自分の役目を正しく認識せず、自分のことを悪く言うのは、それはまた、神様への冒涜になります。人はそれぞれの役割を神様からいただいていますが、それができないという言い訳にもなるからです。人間心での評価では、財力、体力などいろいろな能力や才能を持っている人もいますが、それはその役割があるから与えられている力なのです。
いま、ちょうどパラリンピックが行われていますが、それぞれの障害にも負けず、見ている我々に力や感動を与えてくれいます。選手の方々はそういう役割のために障害を負わされているのだと思います。
みんな、この世に生まれてくる時には、行うべきことを約束して生まれてきています。そのために与えられた力を自分の名誉のためにではなく、人に勇気や感動を与えるように、常にどう使うのか、どう使うべきかを考えなければなりません。オリンピックで羽生結弦選手が2連覇を成し遂げられましたが、彼の技術や演技だけではなく、彼の生き方や、行動に周りの人は感動します。宮城県出身の彼が単に金メダルを欲しい、というのだけではなく、被災された人のためを思って演技し、またそれらの方々から力をもらった、その結果が金メダルだったのではないかと思います。

ひと、一人一人が自分の役割を自覚して、生ききってほしいというのが神様の願いです。
生ききるというのは、魂の昇華です。羽生選手だけが神様から恵まれているのではありません。人はすべて同じで、等しく神様から愛されています。
全ての人は自分の中に、神様からの分け御霊を持っています。それは自分のものではありません。「いただいている」のではなく、「お預かりしている」のです。自分自身の中にあるその分け御霊を愛することなく、勝手な尺度で他人と比べ、それに不平不満をいうのは神様のご意図に背く事です。なぜ、神様が自分をこの世に降ろされたのか、そのご意図を理解せず、不平不満をいう事は自分の使命を忘れているという事です。神様のご意図を読み解けないと、それが不平不満につながりますが、神様の思いを理解して生きると、それが感謝になり、自然と謙虚な生き方となるのです。

神様への感謝が自分への愛に変わり、その愛が自信となります。自信というのは自分の中の神様を信じることです。決して勝手に慢心することではありません。タンポポの種はたくさんできますが、そのすべてが花を咲かせるわけではありません。アスファルトの上に落ち、花を咲かせないまま役割を終えてしまう種もあるでしょう。でも、その種はそれで神様を恨んだりすることは無いと思います。
人間も不足、欠如を感じないで自身の内部をしっかりと見つめ、自分の中の神様と対話し、感謝を続けることが必要です。人よりも恵まれているなと感じたら、それを他人のために使う、それが大切なのです。幸福だと思えば、自分自身のこれまでの生き方を振り返りつつ、人のために、神様にいただいたご慈愛をくみ取りながらさらに自分を高めてゆく。神様といただいたご慈愛を信じる心が自信なのです。
「神の前にて己の生の、生かさる意味を悟ること」という一文がありますが、これがすべてを言い表しているかと思います。

(続きます)

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