2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

« 2018年3月 | トップページ

2018年4月

2018年4月10日 (火)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

約3年ぶりに出雲大社様へお参りさせていただくことができました。
Izumo1

今回は、前回荒天のために断念した「稲佐の浜」へ行き、お砂をもらって来ることができました。
Izumo2

めでたし、めでたしのはずでしたが何と、その出雲で地震に会ってしまいました。
最大深度が5強という、個人的には阪神淡路大震災以上の揺れでした。ホテルの7階でテレビを見ながら、大きな余震が来てもいいように、服を着替えてそのまま寝ていました。
お怪我をされた方はおられたようですが、幸い死者も出ず、大きな被害もなかったようです。
この出来事から何を学べばいいのでしょうか・・・・・・

さて、先日の大阪でのひふみともこ先生のお話の最終回となります。

======================================================

本当の自信、揺るがない自信というものは決して失われるものではありません。

繰り返しになりますが、人の尺度ではなく、神様の尺度で考えるように努力すれば、神様に近づく事ができ、神様のご意図を知ることになります。全てのもとはひとつです。その進化を歴史として背負って生きている私たちには、それを理解することができます。私たちはそのようにして進化してきました。例えそういった視点を忘れたことがあっても、何か、誰かを見ることで思う出すことができます。羽生選手もいきなり生まれてきたのではなく、これまでの進化の中で、私たちが真の御霊を思い起こすための凝縮した存在なのかもしれません。
日本には世界に誇れるものが色々ありますが、このところ漫画やアニメも有名になってきています。ただ、あの手塚治虫さんもいきなり出てきたのではなく、昔々の鳥獣戯画に起源がある歴史が凝縮した存在なのかもしれません。それは歴史の中で生まれるべくして生まれてきたものです。手塚治虫さんが静かな部屋の中を表現するために「しーん」という擬音を開発されましたが、これは突然出てきたものではなく、「森(しん)として」とう言葉があったからこそ生まれてきたものです。
私は大学で日本語を教えていますが、学生に好きな俳句をあげるようにいいますと松尾芭蕉が特に人気があります。「古池やかわず飛び込む池の音」「静かさや岩にしみいる蝉の声」などがあがりますが、読んだ言葉を情景として共有できることは素晴らしい文化だと思います。
素戔嗚尊が読まれた「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」が日本最古の歌だと言われていますが、それが現代にも伝わっており、しかもみんなが理解できるということは、日本人の根源が魂の中に生き続けているという素晴らしいことなのです。
これらの日本人の歴史、文化を受け継いで今の私たちが存在していることを忘れてはいけません。

目に見えない、しかし一つの共通の原点が私たちの中には宿っています。それが今後も何百年も受け継がれていくように私たちは日本の魂を伝えていかなければなりません。


【第2部】3月の歌斉唱

3月の歌は「うれしいひなまつり」を皆様で合唱いたしました。

【第3部】ひふみともこ先生からのお話

□奈良の聖林寺というところで狂言の奉納がされます。
3月25日(日)の14時からなのですが、以前ご紹介した「大仏くらべ」という狂言です。お時間のある方はぜひご覧ください。

□ご本の紹介「日本人として知っておきたい皇室の祈り」伊勢雅臣著
国際派日本人養成講座というブログを書かれている方で、ひふみ先生の大学でも講師をされておられます。

□新しい歴史教科書(新しい歴史教科書を作る会)
自虐史感から脱するべく、作られた教科書で国の審査も通っており、採択する学校も出てきています。正しい歴史を次世代に伝えるためにも、ぜひ一度お読みください。

□東京ひふみのつどい
去年から2回ほど靖国神社で会館をお借りして、ひふみのつどいを開催させていただいています。最初に正式参拝をして、その後お話をさせていただいています。靖国会館は格式もあり、非常に敷居が高くて近寄りがたいと思っていたのですが、開催させていただきますと本当に良かったなと思いました。
戦争のことを理解しつつ、ただ、嫌がるだけではなく、戦争を起こさないように考えていかなければならない、という思いを新たにしました。日本が戦後70年も戦争がないのは、単に戦争放棄を憲法でうたっているからだけではなく、日本人の意識としてその思いが伝わっているのだと感じました。戦争のことも忘れず、正しく理解していく必要があります。
東京の次回は7月7日の開催予定です。


2018年4月 6日 (金)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

本日の大阪は久しぶりの雨となりました。私の家の近所の小学校では、入学式が行われており、多くの初々しい子供たちがご家族の方と一緒に、若干不安げに歩いていました。桜は散ってしまいましたが、午前中曇天ながらもかろうじて雨は降らなかったので良かったですね。

明日は久しぶりに出雲大社様にお参りさせていただく予定です。お伺いさせていただく機会がなかなかなかったのですが、明日の出雲地方の気温は最高9度ということで、3月並みの気温だそうです。
その他の地方もかなり寒くなるようですので、お風邪などお召しになりませんように。

それでは、引き続き大阪3月の会のひふみともこ先生のお話の要約を掲載いたします。

========================================================
大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

自分の努力ももちろん大切ですが、それが報われるときには周りの人からいただいた力も大きいことでしょう。生かされているという意味を理解していない人は、人への感謝がなくなり、それがまた周りの人から嫌われる原因となるという悪循環になっています。自分がどのように支えられているのか、守られているのか、自分はどのように人を支えていくのか、守って行くのか。短い一生のなかで、自分の使命はなにか、人の魂の成長に役立つように生きるにはどうしたらいいのかを考えねばなりません。
自分なんか人の魂の成長に役に立つことはない、と考える人もいますが、そんなことはありません。誰かひとりだけでも喜ばせた、という事で十分に人の生きてきた意味はあると思います。

謙虚の心、感謝の心は自分自身そのものです。神様への感謝、自然への感謝、家族への感謝があれば、そこに謙虚さとか自信が生まれます。神様への感謝がなければ、謙虚さも自信もありません。不平不満を持つ人は、勝手に人と人とを比べているにすぎません。本当の自信はそういう事があっても崩れるものではありません。人と比べて自信があるというのは、傲慢であり、自信ではありません。能力、体力、財力、そういうものは、年を取るごとに、いつしか体力、知力の衰えに伴い失われます。
それに固執するのは、我欲に追われる悲しい惨めな人生です。常にそれらを失うまいとして生きるだけの人生となります。相手を陥れようとか、体を改造しようとか、戦々恐々として生きていくだけの人生です。
ある尺度では自分はあの人のようにはなれない、というのが分かっていても、例えば羽生選手の演技を見て、あのようになりたい、と思うのはスケートはできなくても、あの場に立っている羽生選手の生き方から学んでいるのではないでしょうか。

2018年4月 4日 (水)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

皆様

新年度が始まり、電車に乗ってもこの人は新人だな、という初々しい方々を見受けるようになりました。桜はもう、散り初めですが、本当に春らしくて、花粉以外はいい気候だと感じます。

さて、本日も先月の大阪ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約を掲載させていただきます。

=====================================================

謙虚というのと謙遜は似ているようですが異なります。自分の役目を正しく認識せず、自分のことを悪く言うのは、それはまた、神様への冒涜になります。人はそれぞれの役割を神様からいただいていますが、それができないという言い訳にもなるからです。人間心での評価では、財力、体力などいろいろな能力や才能を持っている人もいますが、それはその役割があるから与えられている力なのです。
いま、ちょうどパラリンピックが行われていますが、それぞれの障害にも負けず、見ている我々に力や感動を与えてくれいます。選手の方々はそういう役割のために障害を負わされているのだと思います。
みんな、この世に生まれてくる時には、行うべきことを約束して生まれてきています。そのために与えられた力を自分の名誉のためにではなく、人に勇気や感動を与えるように、常にどう使うのか、どう使うべきかを考えなければなりません。オリンピックで羽生結弦選手が2連覇を成し遂げられましたが、彼の技術や演技だけではなく、彼の生き方や、行動に周りの人は感動します。宮城県出身の彼が単に金メダルを欲しい、というのだけではなく、被災された人のためを思って演技し、またそれらの方々から力をもらった、その結果が金メダルだったのではないかと思います。

ひと、一人一人が自分の役割を自覚して、生ききってほしいというのが神様の願いです。
生ききるというのは、魂の昇華です。羽生選手だけが神様から恵まれているのではありません。人はすべて同じで、等しく神様から愛されています。
全ての人は自分の中に、神様からの分け御霊を持っています。それは自分のものではありません。「いただいている」のではなく、「お預かりしている」のです。自分自身の中にあるその分け御霊を愛することなく、勝手な尺度で他人と比べ、それに不平不満をいうのは神様のご意図に背く事です。なぜ、神様が自分をこの世に降ろされたのか、そのご意図を理解せず、不平不満をいう事は自分の使命を忘れているという事です。神様のご意図を読み解けないと、それが不平不満につながりますが、神様の思いを理解して生きると、それが感謝になり、自然と謙虚な生き方となるのです。

神様への感謝が自分への愛に変わり、その愛が自信となります。自信というのは自分の中の神様を信じることです。決して勝手に慢心することではありません。タンポポの種はたくさんできますが、そのすべてが花を咲かせるわけではありません。アスファルトの上に落ち、花を咲かせないまま役割を終えてしまう種もあるでしょう。でも、その種はそれで神様を恨んだりすることは無いと思います。
人間も不足、欠如を感じないで自身の内部をしっかりと見つめ、自分の中の神様と対話し、感謝を続けることが必要です。人よりも恵まれているなと感じたら、それを他人のために使う、それが大切なのです。幸福だと思えば、自分自身のこれまでの生き方を振り返りつつ、人のために、神様にいただいたご慈愛をくみ取りながらさらに自分を高めてゆく。神様といただいたご慈愛を信じる心が自信なのです。
「神の前にて己の生の、生かさる意味を悟ること」という一文がありますが、これがすべてを言い表しているかと思います。

(続きます)

« 2018年3月 | トップページ