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2017年9月

2017年9月17日 (日)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(4)

今回の台風18号の暴風雨で被害に会われました方々に心よりお見舞いを申し上げます。
まだまだこれからも被害は拡がりそうです。台風の通過地域に当たられる皆様には、くれぐれもご無理をなさいませんように。

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の最後を掲載いたします。

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【第2部】9月の歌斉唱

9月の歌は「赤とんぼ」を皆様で合唱いたしました。

【第3部】ひふみともこ先生から書籍のご紹介

田中英道様著 日本史の中の世界一 育鵬社

この本の中には日本の歴史の中で、私たちが良く知っている遺跡や建築物に込められた、日本人の考え方のすばらしさが語られています。
・伊勢神宮のご遷宮
・仁徳天皇陵
・奈良の大仏殿
など、多くの人々の力が一つになって行われた大きな仕事ですが、これらは決して、無理矢理に集められた人々が酷使されて行われたものではありません。
一度お読みいただけましたら幸いです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4594058566/

2017年9月14日 (木)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(3)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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では、どのようにして光に近づけばいいのでしょうか。
どこかにある光をさがす必要はありません。
このところ、「自分さがし」などと言って、自分は本当の自分ではないと考えたり、ここにいる限り自分は力を発揮できないとか、あの人さえいなければもっと良い人生が送れるのに、などと思いがちですが、実は光は今、その場所に存在します。
それを見出すことが「行」なのです。
自分を高めていかなければいい出会いはありません。自分が高まらなければ、出会いも仕組まれないのです。
この世に生まれ来て、見えない力に導かれ、そこで出会ってきた人々とのご縁、そういった一連のものに感謝をささげて、これらの奇跡が重なって、今、生きていられるという奇跡に感謝を感じながら生きることが大切です。

そうやっていい生き方を求め、いい生き方を実践する人は、やがてどのような場所からでも何かを得ていきます。何もしないことが命の流れに身を任せることではありません。そこには努力、忍耐が必要です。与えられた中での努力、忍耐。それで失敗しようが、成功しようが、それは神様にお任せする、そこから学ぶこと、それが悟りです。人間界の結果が答えではなく、「悟ったこと」それが答えなのです。

遠くに見える目標に早く近づこうとして、近道を探すことは、結局は魂の成長には逆効果です。要領のいい人も良くいますが、それは決して本当の得ではないのです。本人は得をしたと思っているかもしれませんが、霊格的には大きな損をしています。根気強い人、忍耐強く努力を続ける人には、周りの人から、何かをしてあげたい、助けてあげたいという思いを呼び起こすものなのです。それが長い目で見ればその人の「得=徳」となります。

霊格は現世の「はかり」ではかることはできません。
しかし、霊格の高い人というのは波動といってもいい目に見えない明るさ、そばにいて心地よさを感じさせるものを持っています。「気」とか「オーラ」などと呼ばれるものなのかもしれません。そしてその人の周りにはいつも人が集まるようになります。そのような人々が集まることでいいエネルギーを生み出していくことになるのです。
自分が暗い波動を出していれば、似たような人々が集まってきます。

自然の中にいると、大きな安らぎを感じるものです。自分の周りのすべての物を受け入れようと感じます。その自然の中で、すべての物にできることをしてあげる、自分のできるすべてを与える。そういう行いをすることを神様は望まれています。
陶冶というのは鍛えるという事です。人格はこの世で終わりですが、霊格は過去から続き、これからも続くものです。ただ、人格のことをさておいて、霊格の修行だと言って人里離れた場所で修行をするだけでもいけません。
その人の人生で降りかかってくる苦労を受け入れ、感謝に変えることで「人格」も「霊格」も磨くことができるのです。生きているうちは全てが修行です。御霊を磨く機会を見逃さないで、苦労から逃げ出さないで、毎日を大切に暮らしてください。

2017年9月 9日 (土)

大阪9月の会のひふみともこ先生のお話(2)

引き続き、大阪9月の会のひふみともこ先生のお話の要約の続きを掲載いたします。

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自然と向き合う人々は、常に自然の強さ、怖さ、ありがたさを知っており、自然との長期的な共生をはかってきました。
今年も色々なところで天災が起きています。それは全て自然の摂理であり、神様のご意図なのです。人間が如何にいやだと思っても、それを止めることはできません。そのうちには火山に蓋をして、噴火させないようにする、というような科学的な方法ができるかもしれません。それができたとしても、他の場所に大きなひずみがたまり、これがさらに大きな被害をもたらす事になります。
先日も台風が日本に被害をもたらしました。ただ、台風がおこらないと海水の温度が上がりすぎ、別の被害をもたらすことになるそうです。

東日本大震災でも、津波の後に海が豊かになったということでした。養殖しているカキがそれまで3年かかったものが、1年で大きく育ったという事です。海がかき混ぜられることで栄養分が増えたのが原因です。
人間には人間の都合があるのと同様、自然には自然の都合があります。
自然被害によって亡くなられた方々、残されたご関係者の方々には本当にお気の毒で悲しいことなのですが、人間には大きな被害をもたらすものが、自然には必要なものであったということなのでしょうか。

このように考えることは決してやさしいことではありません。また、災害が起こることを止めることはできません。
しかし、被害を小さくすることはできます。津波についても昔の人の知恵で、ここから下には家を建てるな、という言い伝えがあったようです。昔から自然と共存する知恵を持っていたのです。
今の人間はそれを忘れて、眺めがいいからと海岸沿いに家を建て、家を守るためにそこに防潮堤をつくる。また、その防潮堤を作るために山を切り崩す。山は10年や20年でできるものではありません。人間の都合だけを考えるのではなく、全体的に考えて自然を守る行動をすることが必要なのです。
人のために何かを行うということは、人間の都合ばかりを考えるという事ではありません。

2017年9月 7日 (木)

大阪9月の会が終了いたしました

皆様

おかげさまでこの前の日曜日(9月3日)、大阪 難波神社様でのひふみのつどいを無事に終了させていただきました。すこし秋めいたお天気の中、15名の方々にご参加いただく事ができました。本当にありがとうざごいました。

次回の大阪ひふみのつどいは11月19日(日)に開催させていただきます。次回が本年最後の大阪開催のひふみのつどいとなります。
皆様のお越しをお待ちいたしております。

今回のひふみともこ先生のお話は「 霊格と人格について」でした。
教材の内容につきましてはこちら↓からどうぞ。
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-c4b3.html

<ひふみともこ先生のお話の要約はここから>

【第1部】 霊格と人格について

最初の数行は普遍的な神様の祈りが書いてあります。人類だけではなく、地球の上にあるありとあらゆるものが豊かで、平和に過ごせますように、天に祈りをささげなさい、という神様の祈りです。

人はみんな神様からの分け御霊をお預かりしている存在です。自分の命は神様からいただいたもの=自分の物ではありませんので、神様から預かっているものを汚してはいけないのです。逆の言い方をしますと、それをお預かりした時よりも輝かすこともできますし、お預かりした時よりの何倍も輝かせてお返しすべきものなのです。
「格」というのは位というか、高さを意味する言葉です。霊格というのは過去に何度も生まれ変わって積み上げてきた修行の結果なのです。

神への奉仕というと、神職の方のように神社に勤めることが頭に浮かびますが、それだけではありません。地球、自然、あらゆるもの全てが幸せであるように祈って行くことが、神様への奉仕となります。どのような奉仕をするのか、その約束が「命(みこと)」なのです。その約束は、現世に生まれてくる前に約束してくるものです。
それがその「現世」での修行となり、結果的に前世、過去世で積んだ修行となります。
あの世でも修行を行って、それが霊格の高さにつながってきます。
「霊格」があるというと人間は自分はどのくらいの場所にいるんだろう、とかどうやって測ればいいんだろう、などと考えてしまいますがそれは無駄な事です。

人格は、あくまで人間界で人に奉仕して、人間が判断する基準です。人間界でいくら「あの人はすばらしい」と言われても、それだけでは霊格はあがらないという事です。
科学が進歩して、人間界ではすばらしい功績だと言われても、それが実は自然の摂理に背くようなことであれば、神様のご意図に沿わない事もあるのです。
若くして亡くなった人がいて、その人の「生」は短くても、それは神様の目からみれば、そのご意図があると考えなくてはならないのでしょう。
人間は生きている間がすべてで、死んだら何も残らない、という考えに陥りがちです。しかし、霊の修行はずっと続いていくものなのです。「人格」は赤ちゃんとして生まれた時から0から形成してゆくものなのですが、「霊格」はそうではなく、これまでの過去世でずっと続いていますし、これからも磨き続けていくものなのです。
人間の世界では成功であっても、神様のご意図に沿っていないと思われる人も多数おられます。人の世界では成功者として富や名誉を得ていても「神や仏はいない」と言い切る人よりも、神様などに対して敬虔な人の方が結局は人間界でも人に好かれるのではないでしょうか。

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