大阪5月の会のひふみ先生のお話の要約(1)
皆様
今回も無事にベトナムから戻ることが出来ました。一週間しか日本から離れていないのですが、ベトナムの雑踏(特に人とバイクの多さと車10秒おきに聞こえる車のクラクション)の中で過ごしていると、都会の真ん中でさえ、日本がいかに静かであるかという事が再認識されます。
まあ、老いのせいで、そういう勢いについていけなくなっているだけかもしれませんが。
さて、大変遅くなりましたが、5月13日の大阪 ひふみのつどいでのひふみともこ先生のお話の要約ができましたので、掲載させていただきます。
(ひふみ先生からは、だいぶ前にいただいていたのですが、私がバタバタしていて掲載が遅れました。申し訳ありません。)
当日の教材は「神社でいろは・ひふみを奏上することについて」でした。
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神社で「いろは」「ひふみ」を奏上することについて
いつもつどいの最初に「いろは祝詞」「ひふみ祝詞」を奏上していますが、今回は「いろは」「ひふみ」の意味について考えてみたいと思います。
皆様もこれまでの半生を振り返ってみていただければ、思うようにいったことも、また、そうでない事もあったと思います。私の現在も、私がこうなりたいと思っただけでは決してこのようにはなっていなくて、ここに至るには多くの人々との出会いとか、神様のお導きがあったと考えています。
日本語教師になりたいと思ったのは20代の時でした。
30代の時に恩師と出会いましたが、その先生は私が日本語教師の研修を受けていた時に講師としていらっしゃった方でした。その時に質問に行ったのがご縁の始まりでした。
その後、日本語学校に勤めだしたのですが、当時は「日本語を教える」ことはまだきちんとしたビジネスとして成立しておらず、このままではまっとうに日本語を教えられるようにはならないと思い、国立国語研究所に移りました。しかしその研修の初日にやはり大学院を出なければだめですよ、と言われ、当時、一緒に勉強していた方が大学院に合格したことにも触発され、自分も大学院を目指すようになりました。
修士課程に入ったのですが、そこでも修士で勉強しているだけではだめだという事で、その恩師からも博士課程での勉強を進められました。しかし、御茶ノ水大学で博士論文の目途がついた時に、筑波大学で講師の公募があり、そちらへの転身を進められました。
振り返ってみますと、大学院合格から約10年かかっていますが、そのなかでの恩師との出会い、恩師の奥様との出会い、博士論文を書くために助力してくれた方々など、色々な巡りあわせが積み重なって今に導かれています。
これらは偶然というよりも「自分の意志ではない」という表現が正しいのではないかと思います。努力は努力として行い、しかい結果は神様にお任せしなさいという事です。自分がこうだと思ったことが出来なくても、それは決して失敗ではないのです。
例えば受験に失敗して、道を変更する場合もあると思います。私も大学院受験に失敗もしましたが、当時は神様の事などには思いをはせることもできず、自分が頑張ったと思っていました。現在は自分がその結果を神様のお仕組みとして、受け入れることが必要ではないかと思います。
(続きます)
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