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2017年5月30日 (火)

大阪5月の会のひふみ先生のお話の要約(2)

努力している人を見ていると誰かが何とかしてあげたいと思っているでしょうし、その人が本当に頑張っているのでしたら損得勘定抜きで助けてくれる人が出てくるものです。

「ことばに表し」とありますが、これは言葉で繕いなさいという事ではありません。
思っていることが言葉に現れるのです。その人の日頃の思い、行い、人との接し方、生き方。
そういうものが発する言葉に現れてきます。
「先の先まで」という部分ですが、先ばかり見て今をおろそかにしてはいけません。もちろん、先の事を考えずに「アリとキリギリス」にでてくるキリギリスのように今を享楽的に楽しむという事でもありません。やみくもに先を心配するではなく、今をしっかり行動して、後は神様にお任せしなさいという事なのです。
現在の人類はとにかく人間中心です。霊的視点というのも難しいのですが、自分は地球とか宇宙とかとつながっていると考える事が、結果的には霊的視点につながるということになるものなのです。

先日も訪問した気仙沼での話になりますが、現在、「かさ上げ」という事で近くの小山や丘を崩して津波の高さよりも土地を高くしよう、という事が行われています。ただ、山の養分が川を伝わって海に流れ、それを魚が食べ、それを人が、という連鎖が断ち切られてしまう危惧を感じています。
また、この世で終わりというのではなく、臨死体験をした方のお話を聞きますと、あの世とこの世は隣り合っているものだと感じます。人間は死んだら終わり、ではありません。物質的に生きている、肉体的に生きている、と言うだけではなく、全ての魂は魂の世界とつながっています。この世の中で経験したことはそのままあの世にもっていけるものです。
証明のしようはないのですが、理屈では説明でいない事はいくらでもあります。これまでに紹介しましたように、震災後に不思議なことはいくらでも起こっていたのです。

人々は神社へ「お願い」に行くのですが、神社は本来人の願いを聞いてもらうための場所ではありません。
人というものは神様の「分け御霊」をいただいているもので、それが真の使命に目覚めるための場所なのです。人が神様の「分け御霊」であるという事を認識し、神様に約束をささげるための場なのです。
そこで「自分はこう生きます」ということをお約束するのが「祝詞」です。「神様が願われているように生きていきます。生きていかせてください。」というのが祈りの本質なのです。

(続きます)

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