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2017年4月 3日 (月)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

大阪3月の会のひふみともこ先生のお話(続き)

昨日、テレビをみていると出雲大社の式年遷宮の話が出ていました。お宮の柱となる材木は樹齢200年以上のものが必要だという事です。それを見ていた外国の人たちが、日本人が何年も先の遷宮の事を考えて植林をしている、という事に驚いていました。また、宮大工の技術にしても一本も釘を使わないなどその技術は今に伝承されています。

西岡常一さんという「最後の宮大工」と呼ばれた方がおられましたが、法隆寺や薬師寺の補修や再建に携わった時に、この部分はどこのヒノキで作るべき、等口伝に基いた教えを忠実に守ってきたとお話されていました。また

食の料理人の土井善晴さんがおっしゃっていましたが、和食は素材の良さを活かして素材に感謝する、それが精神だという事です。一方、洋食は「私が作ったんだ」と主張しているように感じられます。

生きとし生けるものの命を活かす、それが日本の心ではないでしょうか。

この世の中には完全なものはありません。不完全なものが補いあって完全無欠なものができあがります。人についても、一人一人の間に優劣、上下はありません。神様の前では全員が平等であり、公平なのです。自分は優秀である、という思いのある人は、神様から見ればまだまだ昇華が足りないということなのです。

悟りは「差をとること」と言われます。勝ったと驕り高ぶるだけではなく、負けている、差がある、と感じることもまだまだ悟っていないという事です。神様はその「差」が全く無くなってゆく、神様の思いのもとにすべてが収束してゆく、という事を望んでおられます。役割、お役目という意味では、全ての人が尊い役割を持っているのです。他の事に目がくらんだり、煩悩に悩んでしまうこともままありますが、自分に与えられた使命をただひたすらに行っていくことが結局は自分の幸せにもつながります。魂が磨かれると、人間はささやかなことでも幸せになれるのです。

先日、311日に気仙沼を訪問した際に、慰霊祭に参列させていただきました。

遺族代表の方のお話で、息子さん一人を除き、ご家族が全て亡くなったそうです。津波が来た時に橋の欄干につかまって必死で耐え、やっと橋にあがって、一晩過ごしたそうです。寒さに耐え、眠らないように大声で家族の名前を呼び続けたという事でした。今になって自分の幸せは何気ない家族との会話にあった、それを失って初めて分かったというお話をされました。しかし、それに気づいて今が幸せですとおっしゃておられました。

大きな悲しみを乗り越えることで、神様のご意図を理解されたのではないでしょうか。6年間は長かったでしょうし、さぞ辛かったことでしょう。それを乗り越えて、次の一歩が踏み出せるようになられたのだと思います。

幸せというものは「今の状態が幸せである」という事に気づくことから始まるものです。私たちの生活も、これまで苦労されてきた人々の努力、苦労、支えの上に成り立っているという事に気づかなければなりません。桜が咲いているのを見れば心が明るくなりますし、晴れた日はそれだけで心がウキウキします。一方、雨は雨で作物が育ちます。すべてに意味があり、感謝すべきことなのです。

人間も同じです。ニコニコしている人を見ていやになる人はいません。いつも、何にでも感謝をして過ごしたいものです。一人一人が我執我欲に囚われてバラバラに生きていくことを神様は望んでおられません。人類が和して一つになることを望んでおられます。

 

宗教も同じように人類の昇華を考えているものでしたら、一つになるはずなのですが、実際はそうではありません。分裂や征服を繰り返しています。皆の魂の中に神様がいらっしゃる、魂は神様につながっている、それに気がつくことで神様との一体化を果たすことができます。それが人の和につながり、さらなる高次元の魂となる事ができます。魂は神様からお借りしているものです。それを磨いて、光り輝く魂にして、神様に返してほしい、それが神様の願いです。

 

順風満帆の生活で、毎日おいしいものを食べて満足していられるかというと、人生はそんなに楽なものではありません。陰には他人には分からない苦労があるのが普通です。しかし、それは神様とのご縁を結ぶためのお仕組みなのです。ただ、神様のお考えを理解するのはそう簡単な事ではありません。

先の気仙沼の方のご経験は、とても辛いものであったでしょう。それから目をそらさないで、逃げないで一つずつ答えを見つけてゆく、それが大切です。それが見つかった時に神様の世界に近づいて行くことができるのです。自ら考えて本当の答えを見つけてゆかなければなりません。

死ぬときに自分の人生はこのような意義があったのだ、いい人生であったのだという事が分かって死ねることが大切でしょう。小さい事ではありますが、周りに感謝し、にっこりと笑って言葉をかけることからはじめましょう。

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